眩い蒼光に包まれるまさにその瞬間

「火炎魔法!」

灼熱の炎がマーヤのロッドから吹き出し、二つの魔法は激突した。
白と赤
氷と炎
凍気と熱気

1-4

相反する力が真正面からぶつかり合い、ジュワワッと凄まじい音がして氷は瞬時に水となり、もうもうたる蒸気と化して辺りを覆い隠してしまった。
「ほう…」
白い靄の向こう、ダークエルフの感嘆する声が聞こえた。
「わ~、すごいすごい☆」
ぱちぱちとエリナが拍手した。
「へんっ、ダテに毎朝鍛えてた訳じゃないのよっ!」
心の隅で、マーヤはフレアにちょびっと感謝した…訳はない。
修行場時代、毎朝、水魔法をぶつけられる前に火炎魔法で応戦してやろうと思いつつ、目が覚めずに出来なかったその鬱憤を、少し晴らせた気がした。
室内は白く霞み、蒸気は思わぬ目眩ましの役目をしてくれている。
これならきっと、相手もこちらがよく見えない。
「さ!この隙に…」
逃げるよ!!と言おうとして、マーヤは自分の身体が妙にぎくしゃくする事に気が付いた。
「あ…れ?」
足が動かない。
ロッドを握る手も
口も
(しまった…!)
かろうじて動かせた眼球は、ダークエルフを見た。
まだ晴れない蒸気に隠されて輪郭がおぼろに見えるだけだが、その口元が笑みを浮かべている気がした。
金縛りの魔法、だ…!!
すぐ側にいるはずのエリナの方すら、もう見ることが出来ない。
それでも懸命にもがこうとする内に、何だかマーヤの意識はぼんやりとしてきた。
まるで辺りを漂うこの靄が頭の中に流れ込んだかの様に。
(なん…で……)
自分の意志とは裏腹に、瞼がどんどん下がっていく。
頭を懸命に振ってふらつく意識を追い出したいのに、体はぴくりとも動かせない。
(ダメだって!お…起き…て!!)
視界の端に、ぴょこんと何かが跳ねた。
(ん?)

白いふわふわの毛の、丸々とした羊が、目の前をぴょんぴょんと跳ねていた。

何で、いきなりこんな所にヒツジが?
ああ、そうか。
眠いからだ。
朦朧とする意識の中、マーヤは答えになってない答えに納得した。
それにしても、眠いときって、何でヒツジなんだろう…

そこまで考え、マーヤの瞼は閉じられた。
「他愛もない」
嘲笑う男の声が、夢に落ちる一瞬、聞こえた。

「人間の身で単身乗り込んで来るとは、どんな強者かと思えば…」
くっくっと笑いながら、細身の影は倒れたマーヤに歩み寄った。
黒い手が、ゆっくりと伸ばされる――

マーヤ

ああ、まただ。
私を呼んでる、この声。

マーヤ

だれ?
暗い闇の中、確かに誰かがいるのに、よく見えない。
どこにいるの?
どうして、側に来てくれないの…?

マーヤは、声に向かって手を伸ばして――

ぱちりと目を開けた瞬間、灰色の薄汚れた天井が目に飛び込んできた。
「ん…」
頭の下にあるのは、ふかふかの枕じゃなく、固い石の感触。
(あれ……?)
身動きしようとする度、ゴリゴリして痛い。
私、どうしてたんだっけ…
右手に握りしめているロッドを見て、何でこんなもの握りながら寝てたんだろうとマーヤは訝った。
ぼんやりとした意識が、徐々にまとまって来る。
あ、そうか。
ここは、探し続けた復活の寺院で
私、ようやくあの娘を見つけて、そしたらダークエルフが現れて――
「やばあっ!!」
そこまで思い出し、がばっとマーヤは血相を変えて跳ね起きた!
「エリナっ!!」
探した娘は、マーヤのすぐ横で丸まってすぅすぅと健やかな寝息を立てていた。
怪我をした様子も、何かされた形跡も無い。
とりあえず彼女の無事を知って安堵すると、マーヤは室内を見回した。
もうとっくに蒸気は晴れ、さっきまで対峙していたはずのダークエルフの姿は、影も形も無かった。
「あれ…?」
マーヤとエリナを眠らせただけで、敵は消えてしまったらしい。
「…どうなってんの?」
手も足も縛られているわけではなく、消えたと見えた部屋の扉も、そこにちゃんと存在している。
「……???」
何度も首をかしげたが、一向に分からない。
あいつは一体何が目的だったんだろう?
とりあえず、ゆさゆさとエリナの肩を揺さぶる。
「おーい、起きてよ」
「……くー」
幸せそうな寝息はなかなか破れない。
「起きてってば!」
ゆさゆさゆさ
「くーくー…」
「……」
いっそ水筒の水でもぶっかけてやりたいが、ここは砂漠。
貴重な水をそんな事には使えない。
いっそ、ファイヤーで…
マーヤの危険な脳内を察したのか、エリナの睫毛が震え、ゆっくりと瞼は開いた。
「…おはよー」
マーヤをぼんやりと見た後、お約束の返事が返ってきた。
瞳はまだ虚ろ。
それは、寝起きだからなのか、それともまだ残る術のせいなのか、マーヤには分からなかった。
とりあえず、行かなきゃ。
ここが、未だに魔物の巣窟だって事に変わりはないんだから。
「さ、帰るよ」
「…うん」
幼子の様に素直に従い、エリナはマーヤと手をつないだ。

恐る恐る部屋の扉を開けて見回してみたが、暗い廊下はしんと静まりかえっている。
「……?」
何か、おかしい。
マーヤは眉をひそめた。
敵の気配がしないのだ。
それ以前に、この寺院に侵入したときからずっと感じていた、多くの魔物達がひしめく圧迫感が全く感じられない。
これじゃまるで、無人の廃墟だ。
最初は怖々、それでも誰もいないと分かると、ずんずんと二人は無人の廊下を歩いた。
石造りの廊下に反響するのは、二人の靴音だけ。
魔物の息遣いも、独特の生臭さも、何かが影を潜めている様子も感じられない。
やっぱり、誰もいないんだ。
眠らされた間に、一体何があったんだろう?
敵がいないに越した事は、そりゃ全くないけれど、不気味さは拭えない。

そうこうする内に、分かれ道に来た。
「…う、どっちだろ」
まだ、ここは寺院の奥。同じような道が二つに伸びており、窓が無いので外がどちらかも検討がつかない。
ここらは目暗滅法に走って来たから、どこで曲がったかなんて覚えちゃいない。
「えーと…、ここ、私曲がったっけ?」
マーヤが自分の記憶に全く自信が持てず悩んでいると、

「出口は、こっちです」

はっきりとした声に顔を上げると、今までの虚ろな表情は跡形もない、正気の目をしたエリナがいた。
「私の家は、この寺院を司っていた家系だから」
そう言ってにこりと笑ったエリナは、女のマーヤから見ても可愛らしかった。

「おおおおおおおおおおおお!!エリナあああああああああ!!」
陽がもうその身を完全に隠そうとしている夕暮れ時、ボナスの涙と叫びで始まる親子の再会は叶えられた。
娘の細い肩をしっかりと抱き、むせび泣いている。
マーヤは疲労のため、椅子に座り込んだまま親子の感動の抱擁をぼんやりと眺めていた。
(ああ、フレア達は元気かなー…)
「魔物達におかしな事はされんかったか?よくやつらの元から逃げ出せたのぅ」
「マーヤさんが、守ってくれましたから」
エリナは嬉しそうに、マーヤを見た。
「すごいのよ。炎を操って、あっという間に寺院中の魔物をやっつけちゃったんだもの!」
「何と!さすがは魔導師じゃのう!!わしの目に狂いは無かった!娘ばかりか、寺院まで取り戻してくれるとは!」
「………」
手放しの讃辞を、マーヤは曖昧な笑いで誤魔化した。
魔物が何故いきなり姿を消したのか、未だに分からなかったからだ。
少なくとも、眠りこけていた自分が追い払ったわけではない。
「さあ、そんな服、早く着替えてしまいなさい」
「はい、お父様」
エリナは、砂漠の風砂で薄汚れたとは言え、きらびやかなドレスのままだった。
身につけている宝石共々、売れば相当な値段になるだろう。
ちなみに、マーヤのポケットの中にはあの部屋の宝石のいくつかがちゃっかり入っている事は、本人だけのヒミツだ。

「マーヤさん!ありがとう!!何とお礼を言ったらいいか…」
エリナが着替えと休息のために奥の部屋へ消えると、ボナスは涙を拭い、マーヤの前で深々と頭を下げた。
「どーいたしまして」
気の抜けた声で、マーヤは応えた。
とりあえず、使命達成し終えたマーヤとしても悪い気分ではない。
―― 使命達成?
とんでもない。
まだ、マーヤは本当の目的を果たしていない。
「んで、お師匠様の灰は無事?」
「おお、こいつか」
ボナスが、部屋の隅から小さな壺を持ち出し、そっとマーヤの前に置いた。
封もきっちりそのままだ。
「…ん?何か、変なニオイしない?コレ」
壺を持ち上げたマーヤが、鼻をふんふんさせてボナスに尋ねた。
「おお、しまった!そいつはうちの秘蔵の漬け物だ!!」
思わずマーヤは、壺をぶんなげてしまうところだった。
「わあ!早まってはいかーん!そいつが無いと、飯が進まんのじゃ!!」
「私は漬け物を復活させるために死ぬような思いをしたんじゃなーい!!」
「すまんすまん。何せホレ、そっくりだからな」
師匠の灰を、未だに漬け物壺に入れて持ち歩いている弟子も如何なものか。
「んじゃ、約束通り娘さん連れ戻して、寺院も平和になったんだから、今度はこっちの番ね。復活させて」
遺灰の入った壺を、改めてボナスに突き出すと、彼は渋い顔をした。
「…それが、まことに言いにくいんじゃが……」
「まさか、今更、復活できないってんじゃないよね?」
マーヤのこめかみの血管がぴくりと動いた。
手が、傍らに立てかけておいたロッドに伸びる。
「いやいやいや、早まるでない!!」
マーヤの殺気を察知し、ボナスは後ずさりしながらぶんぶんと手を振った。

「じ、実はな…今の寺院に、復活の魔力はもう無いのだ。もう随分と昔にな」

マーヤの顎が、かくんと下がった。
「…んもぉ、冗談はやめてよねー、おじさん」
ニコニコと笑いながら、マーヤはロッドをぎゅっと掴んだ。
こめかみの血管が痛いほどに疼く。
仲間と別れ、たった一人、はるばるトキアス山から死にそうな思いをして砂漠を渡り、魔物に寸でのところで殺されかけ、泣きながら迷路の様な寺院の中を彷徨い、見知らぬ娘を助け出したのも、あれもこれも全ては ――復活のため。
お師匠様を生き返らせる為、だった、のに ――

「い、いや、だからこそだな、奴らはうちの娘を生け贄にしてその魔力を復活させようとしていたのだ」
「………!」
全てが凍り付く沈黙の時間が流れた。

「…す…る……」

棒立ちになったままのマーヤの呟きに、ボナスは、非難していた箪笥の影から思わず顔を出して彼女を見た。
そのすぐ横を、陶器のカップが音を立てて飛び過ぎ、壁に当たって砕けた。

「生け贄にするー!あの娘を連れて、もう一度寺院へ行ってやるぅぅぅ!!」
「だわぁぁっ!お、落ち着かんか!魔導師のご乱心じゃあああ!!」

胸元のペンダントを見つめていたエリナは、隣室での騒音に顔を上げた。
「あら、何だか楽しそうね」
平和に微笑んだ後、ペンダントをそっと握りしめた。

「あ、安心せい!ま、まだ復活の道が絶たれたわけではない!!」
その言葉で、マーヤは寸での所で魔法を振るうのを自制した。
あと少し遅ければ、この家は紅蓮の炎で包まれていただろう。
それでも、
「…今度は、どう言って誤魔化す気?おぢさん」
彼女の目は据わったままだ。無理もない。
ロッドで顎の下をうりうりやられ、ボナスの額を新たな汗が一滴伝った。
「こ、ここの寺院はな、数ある復活の寺院の中の一つに過ぎんのじゃよ」
「…へ?ここひとつじゃないの?」
マーヤの緊張が、ちょっとだけ緩んだ。
が、またも険しい表情へと戻る。
「…んで、今度は他の寺院を紹介するからそっち行け、とか言わないよね?」
「いやいやいや、話は最後まで聞け、お若いの」
一つ咳払いして、彼は遺灰の入った壺を手に取ると、そっと封を取った。
「…うむ、やはりそうじゃ」
中に納められた暗灰色の灰をそっと指で触り、一人頷いている。
「…何がそうなの?」
気勢をそがれた感じで、マーヤは壺とボナスを交互に見た。
「お前さんの話を聞いて、恐らく…と思ったのだよ。この灰…お前の師匠だったか、魔物にやられたと言っておったな?」
マーヤは素直に頷いた。
「封印されてた魔物。煙の姿で実体じゃなかったからよく分からないけど、強力な奴だったのは間違いないよ」
「魔導師で、しかも弟子を抱えるほどの者をここまで灰燼に化せるほどのものだからな」
語りながら片手で鼻眼鏡をくいっと押し上げる姿は、もはやうらぶれた中年オヤジではなく、何だか高名な学者か神官にさえ見えてくる。
そう言えば、エリナは言ってたっけ。
ボナスの家は、あの寺院を司る一族なんだって。
て事は、このおっさんもただの村人Aではなかったのか。

「この灰は、普通に焼かれたのとは違い、その魔物の悪しき力が働いておる。分かりやすく言えば、呪いの様なものだ。どちらにしろ、これほど強力な魔がついている魂は、この村の寺院では復活させる事はできん」
「…そ、そうなの?」
マーヤは、しゅんと肩を落とした。

…そこで、『元々復活出来ないと分かっていながら、復活をタテに娘を助け出させたんかい!』と、なぜ気づかない、マーヤ。
だけど、今のマーヤは本当に疲れていたから。
今日一日だけで、何回死にかけただろう。
そこに、復活は出来ないと聞かされれば、全身から力が抜けるのも無理はない。
「そう、気を落とすな」
ボナスが、ぽんとマーヤの肩を叩いた。
いつの間にか、慰め役になっている。
「道はあると言ったじゃろ」
その言葉に、マーヤは力無く顔を上げた。
「この寺院では確かに無理だが、『封印の塚』なら、あるいは…」
「復活出来るの?!」
マーヤの目に、再び光が宿った。
「うむ。そここそが、数ある封印の寺院の魔力の源だからの」
「どこ?どこにあんのそれ!」
「あんたには世話になったからの。本当なら寺院の関係者以外には秘密の地なのだが、特別に教えてやろう」
本当に報いてくれるつもりなら、お師匠様を復活させてくれる事が一番の恩返しだと思うぞ、おっさん。
が、一度絶望の縁に絶たされ、そこに垂らされた一筋の光に、今のマーヤはすがりつくしかなかった。
道が絶たれた訳じゃない。
今度こそ、お師匠様を生き返らせられる ――!

「とりあえず、今夜はもう遅い。ゆっくり休みなされ。今、飯にするからの」
最後の言葉で、マーヤはいつも通りの元気を取り戻した。
「あ、私、お肉がいい~。蜂蜜酒も付けてね♪」

これでこそ、お気楽娘。
これからまた、苦難の道が始まると言うのに。

身体は疲労困憊しているのに、何故か眠れなかった。
明日からまた、強行軍が始まる。
少しでも寝ておかなくちゃ、いけない、のに ――
しばらくはベッドの中でゴロゴロと寝返りを打っていたが、それにも飽きたマーヤは、毛布でくるまりながら窓辺に立った。
砂漠の夜は、村の中と言えど寒い事に変わりはない。
白い息を吐きながら、窓に顔を寄せてカーテンの端をめくる。
夜空は邪魔な雲一つ無く澄み切って、月と星をはっとするくらい綺麗に映えさせていた。
風一つ吹かず、あるのは静寂の世界。

「………」

とても綺麗、だけど ――

修行場から見る空が、懐かしかった。
いきなりこんな旅に出るなんて、あの日まで想像すらしてなかったのに。
バカやってたフレアやエスティアとの生活がひどく遠いものに思えてしまう。
早く、帰りたいな。
やっぱり、一人は寂しい。

そう言えば…
(レスティンは今頃、どこにいるのかな…)
一年前に姿を消した、修行場の住人の姿を思い浮かべた。
エスティアよりも黒い髪と、はっきりとした意志の光を持った緑の目が印象的な、レスティンと言う名の ――お師匠様の孫。
マーヤより二つ年上で、長身で ――すごく格好いいけれど、全然鼻にかけないどころか無頓着で。
その彼はある日、剣士になると言って、トキアス山を後にたった一人、出て行った。
それから、便りはまだ無い。
この空の下、彼は何処を旅しているんだろう ――

マーヤはぶんぶんと頭を大きく振り、感傷を無理矢理追い払うと窓から離れた。
ベッドに潜り込み、シーツを頭までかぶってぎゅっと目をつぶる。

幸いな事に、今度こそ、眠りは訪れてくれた。

「さ、これが『封印の塚』への地図じゃ」
ボナスお手製の、味はともかく量はある朝食を終えて、マーヤは旅立ちの準備を始めた。
食料と水筒一杯の水と共に、ボナスが書いてくれた地図を受け取る。
「ここをまずはまっすぐ東に行くと、砂漠が終わり、河がある。河を上っていけば、後は自ずと塚の力に導かれよう」
神官の様に厳かな口調で、ボナスは教えてくれた。
「うん」
頷き、マーヤは防砂用のローブをまとった。
これもまた、ボナスから餞別として与えられたもの。
砂漠の民の物だけあって、今まで使っていた物より軽くて丈夫そうだ。
「おお、ちょっと待ってくれ。もう一度、エリナに会ってやってくれんか?」
「うん?いいけど…大丈夫なの?」
エリナは帰ってきて以来眠りっぱなしで、昨夜は夕食も取らず、朝食の時も起きて来られなかったのに。
生け贄として誘拐され、術までかけられていたんだから、体調を崩すのも無理はない。
でも、マーヤとしても、もう一度彼女と話しておきたかった。
一応、生死を共にして魔物の巣窟から生還した仲だし。
「エリナが、是非会いたいと言って聞かなくてな。まだ横になったままだが勘弁してやってくれ」
荷物を玄関先に置いて、ボナスに示された部屋の扉をノックすると、
「…はい」
弱々しい返事が返ってきた。
「…私、マーヤ。入るよ」
ちょっとだけ迷った後、声をかけてノブを回した。
女の子らしくピンクのレースやぬいぐるみが飾られた部屋のベッドに、エリナが横になっていた。
「あ、マーヤさん…」
閉じていた目をゆっくりと開いてマーヤの姿を認めると、エリナは弱々しく微笑を浮かべた。
「…大丈夫?」
「ええ…。ちょっと疲れただけ。眠れば治るから」
気怠げだけれど、初めて会った時の様に虚ろな瞳ではない。
魔物の術が残っていると言うわけではなく、確かに彼女に影を落としているのは疲労らしかった。
「助けてくれて、本当にありがとう…」
そっと、エリナの白い手がマーヤの手を握った。
細い、女の子らしい指。
ボナスが大切に大切に育ててきたんだろうな。
「あはは、べ、別に大した事してないし…」
マーヤはらしくなく、照れて口ごもった。
「昨日、お父様と話してたのがちょっと聞こえちゃったの」
エリナは、はっきりと目を開けてマーヤを見つめた。
「『封印の塚』へ、行くのね」
「…うん」
マーヤが頷いたのを見て、エリナは少しだけ哀しそうな顔をした後、
「…これを、持っていって」
マーヤの前に差し出されたのは、今まで彼女が身につけていた、蒼い宝石がはめ込まれたペンダントだった。
最初に会った時、一番最初に目を引かれたほどそれは見事な輝きだったから、マーヤも覚えていた。
「え?い、いいよ!これ、大事な物でしょ?」
慌ててマーヤは辞退しようとしたが、エリナは真面目な顔で続けた。
「きっと役に立つから、お願い。旅の…無事…を……」
そこまで話して、エリナの身体ががくんと揺れた。
「エリナ?!だいじょう…」
慌てて彼女の細い身体を支えようと伸ばしたマーヤの手に、エリナはペンダントを押しつけた。
「エリナ!」
そこへ、血相を変えたボナスが飛び込んできた。
「大丈夫、お父様…」
ボナスの手でベッドに再び横にされた時、、エリナは再び瞼を閉じてしまった。
「まだ疲れとるみたいだな。すまんが、もう休ませてやってくれ」
「う、うん」
ボナスに頭を下げられ、マーヤは引き下がった。
手には、エリナから受け取った蒼いペンダントを握ったまま。
扉を閉め、マーヤはボナスと向き合った。
「じゃあ、私は行くね」
「うむ、祈っておくよ、お前さんの無事を」
しんみりとした別れのシーンの、まさに真っ最中に、

「うふふふ」

聞き慣れた笑い声が、閉ざされた部屋の中から聞こえてきた。
「………」
寒い沈黙が生まれた。
「ねえ、ボナスさん。一つ聞きたいんだけどさ」
宝石に囲まれていたエリナの、素っ頓狂な性格。
あれは、魔物の術のせいだとばかり思っていたけれど ――
「もしかして、あれが地だったの…?」
扉を示してのマーヤの問いに、ボナスは気まずそうに頷いた。
「いい娘なんだがのう、時々変になるのが困りもので。まあ、そこもいいとこなんだが」
「………」
だめだこりゃ、とばかりに、マーヤは肩をすくめて首を振った。

さあ、旅を続けよう。
砂漠の向こうにある、『封印の塚』を目指して ――