うらぶれた中年男はボナスと名乗った。
砂漠で彼を助けたマーヤは、彼の住む村へ招かれていた。
ここは砂漠の中にある小さな集落。
その中にあるボナスの家で、マーヤは水と食事を与えられてやっと人心地が着いた。
ここでは一つだけ井戸があり、豊富とはいえないがその水で村の生活をまかなっているという。

「久しぶりの屋根付きのおうち~♪」
はしゃいでいるマーヤの前で、ボナスは深刻な表情を浮かべていた。
「先程のお願いですが…」
低い鼻にちょこんと乗っている小さな鼻眼鏡をくいっと押し上げると、ボナスは砂漠に行き倒れていた経緯を語り始めた。
彼には、先立った妻との間の一人娘、エリナがいた。
美しく聡明で、死んだ妻に勝るとも劣らず…と、娘の自慢話がひとしきり続いてマーヤが欠伸をかみ殺した頃、ようやく本題に入った。
この頃、この近くにも魔物が闊歩し始め、事もあろうにエリナがさらわれ、生け贄にされそうなのだ、と。
それを助けようと、ボナスは砂漠に飛び出したのだ。
「あまりにも動転して、何の準備もしておらんかったからな」
ボナスはわははと笑った。
確かに、マーヤが助けた時の彼は、文字通り着の身着のままの普段着姿だった。
装備も持たずに砂漠に飛び出すなんて、砂漠の民らしくない、自殺行為だ。
おっさん死ぬつもりだったんかい、と呆れたマーヤは心の中でツッコミを入れておいた。
「というわけで、わしを助けたついでに娘も助けてくれ」
さらりと言われて、マーヤは口に含んだお茶を吹き出す所だった。
「ちょっと待てや、おっさん!!」
妙齢の女性らしくなく、下品な言葉遣いが飛び出した。
「ついでって…私のような小娘に、魔物と戦えっつーの?!」
「そうじゃ」
あっさりと頷かれ、次の言葉が出なかった。
「いやいや、この砂漠を一人で越えようなど、並の人間にゃできん。あんたは若そうだが、ただのお嬢さんじゃなさそうだ。聞けば魔導師と言うしな。あんたしかおらんのだよ、娘を救えるのは」
そういって、ボナスはずずっとお茶をすすった。
「この村の男連中は何やってんの?!村人の一人がさらわれたってのに!!」
「村に入ったとき、若い男を見かけなかったじゃろう?大半は砂漠の商隊に加わって出払ってしまっておる。帰ってくるのは半年か、1年後か…。その間に娘は…あああ」
再び泣き崩れそうになるボナスを
「血圧あがるよ、おじさん」
となだめたが、彼は取り合わなかった。
「そういわれてもねぇ…」
マーヤだって魔導師とはいえ、使えるのは簡単な魔法ばかりだし、実戦経験は無に等しい。
戦った魔物と言えばスライム程度だなんて、こちらを必死の眼差しで見ているボナスに言えるわけがなかった。
「私も、ちょっと旅を急いでるのよ。この砂漠にあるっていう、死者を復活させてくれるっていう寺院に一刻も早く行かなきゃいけないの!」
その言葉を聞いたボナスの顔色がさーっと変わった。
「復活の寺院…?おお…何て事だ…」
がたんと椅子を蹴倒して、マーヤから飛びすさるように離れる。
「あんたもやつらの仲間だったのか?!!」
「へ?」

マーヤが旅の目的を聞かせ、お師匠様の灰を見せてやると、ボナスはようやく信用したらしい。
勿論、封じられていた魔物を解放したなどとはわざわざ言わなかったが。
「ふむ、師匠を生き返らせる為にわざわざこの砂漠へ…。けなげだのぅ」
涙で目をうるうるさせたボナスは、何故かどことなく嬉しそうだ。
「じゃあ、わしらの目的は一致したというわけだな」
「は?」
「エリナを連れ去った魔物達が巣くっているのは、その寺院だからの」

bonas

今度こそ、マーヤはお茶を吹き出した。
 
 
 
「はぁ…」
マーヤの今度のため息は深刻だった。
魔物と戦う?私が?
冗談は止めてよねー。
はっはっはっと空しく笑ってはみたが、現実は消えてくれなかった。

今、彼女は、村から2キロばかり離れた、砂漠の中にちんまりと建てられている古びた建物を岩影から伺っているところだ。
石造りの、昔はさぞ立派だったろうと思わせる寺院。
だが今や砂漠の風にやられたか、それとも魔物が巣くっているせいなのか、壁の装飾も所々はげ落ち、崩れ、端から見れば立派な廃墟と見せている。
あそこが、目的地の復活の寺院。
灰と化してしまったお師匠様を蘇生してくれる、唯一の希望の綱。
渇きと飢えに耐え、地獄のような砂漠を越えてやっと着いたと言うのに、もっと大きな難題が待ちかまえていようとは。

ボナスの娘エリナを助け出し、寺院を魔物の占拠から解放する

課せられた使命の重さに押し潰されそうだった。
単なるお使いの筈が、今はとんでもないことになっている。

ボナスの話によると、今の寺院にはもはや往年の、失われた生命を復活させる魔力は残されていないと言う。
それを聞いた途端に立ち去ろうとしたマーヤの裾をしっかりと掴んで、ボナスは続けた。
それなのに、魔物達はあそこで何やら儀式を行うつもりらしい。その生け贄が娘のエリナ。
復活の魔力を秘めた寺院で行う儀式といったら、やっぱり―――
だが、何を復活させるつもりなのか?
その辺は、彼もよく分からないらしい。
と言うより、この辺りの話になるとボナスは娘の事を思い出しておいおい泣き出してしまうため、詳しく聞き出せなかったのだ。
どちらにしろ、マーヤにしても、魔力がないとはいえこの寺院以外頼るところがないのだ。
魔物を追い払えば、もしかしたら道が開けるかも知れない、と言うボナスの言葉に、半信半疑ながらも従うしかなかった。

その寺院の前を、今まで本の中でしか見たことの無かった魔物、トカゲの頭と体を持ったリザードマンが4匹ほどうろついている。
生意気にも二足歩行で、粗末とはいえレザーアーマーまで付けて。
腰には、太い剣。
見張り役なのだろう、彼らの独特な無機質な目は、辺りを油断なく見回していた。

「どーしよぉ……」
岩陰に座り込んだまま、マーヤは頭を抱えた。
もう小一時間もここにいるのに、なかなか決心が付かない。
真正面から乗り込んだ日にゃ、あっという間にぶち殺されるのがオチだ。
かといって、4匹ものリザードマンにこうも動き回られては、裏口を捜す余裕すらない。
ただでさえ、身を隠す場所も少ないと言うのに。

こんないたいけな女の子に、何て危険なことをやらせるのさ。
もしも死んだら、絶対化けて出てやるからな。覚えてろ…。

いたいけな女の子らしくない物騒な考えだけは次々出てくるのだが、肝心の寺院へ乗り込むアイデアが一向に浮かんでこない。
その間も、容赦ない砂漠の日差しがじりじりと注がれてくる。
このまま逃げ出したい誘惑に駆られるものの、肝心のお師匠様の灰は、他の手荷物と共にボナスの所に預けてきてしまった。
もはや逃げることも叶わない。
我が身の不幸を嘆いて、マーヤは首を振った。

「どうしようかな…」
何十回目かの同じ言葉を飽きもせず繰り返したとき、
「………あっ!」
はたと閃いた。
砂漠を渡るときに大活躍した魔法、それが、ここでも十分役に立つことに気が付いたのだ。
ボナスの家で思いっきり飲み食いしたお陰で精神力はばっちり回復し、魔力も今なら十分。
多分、これでエリナを救えなかった場合、彼としては食費を請求したくなるに違いない。

「透明魔法」

気合いのこもった呟きと共に、ふうっとマーヤの姿は砂漠の景色にみるみる溶け込んだ。
(これなら…!)
こちらは風下だから、匂いを嗅ぎつけられる心配もない。
透明なのだから、この強い日差しでも影は地面に映らない。
それでも一応、恐る恐る岩陰から首だけ出して敵の様子を伺った。
その瞬間リザードマンの一匹がふっとこちらを見、ばちっと目が合った気がして、彼女は思わず声を出すところだった。
が、相手は何も気づかず、そのまま首を別の方へと向けた。
(…ほっ……)
額を伝った、砂漠の熱気のせいでは無い汗を片手で拭い、マーヤはそうっと砂地の上を歩き出した。
大丈夫、相手の様子に変化はない。
(よしよし。所詮はトカゲさっ)
オドオドしながら歩いていた足取りも、徐々に軽くなってきた。
最初の怯えもどこへやら、動き回る魔物達の間を堂々とすり抜けていく。
(辛く面倒な修行に耐えて、この魔法を覚えたカイがあるってもんだねー)

そんな彼女の余裕も、長くは続かなかった。

さくっ

「グ……?」
リザードマンの一匹が、爬虫類特有の無表情な顔に、それでも怪訝と分かる表情を浮かべた。
目の前に広がる、砂と岩だらけの、いつもと変わらない風景。
が、風で平らにならされた砂の上に、微かな音と共に突如として小さなくぼみが現れたのだ。
「……??」
しかもそれは、一定の間隔を置いて、連続して出現している。
まるで、誰かがその上を歩いているかの様に。
が、そこには誰もいない。
鼻を鳴らしてみても、運ばれる風に特別な匂いは混じって来ない。
だが、何かがおかしい。
本能がそう告げ、彼は小首を傾げた。

「………」

さくさく

相変わらず砂を践む音と、小さなくぼみは出現し続けている。
その異変に、他の同僚も気づいたらしい。
「………???」
皆一様に小首を傾げ、頭の上に疑問符を浮かべる。
「キシャア!!」
が、それが、明らかに寺院の入り口に向かっている事に一匹が気付き、甲高い叫びを上げた。

「げっ!」
その叫びに、入り口までもう目と鼻の先、と言うところまで辿り着いていたマーヤも飛び上がった。
振り返った先に、姿は見えてないはずなのに、リザードマン4匹全てが、腰の帯剣を振りかざしてこちらに駆け寄って来るのが見えた。

「バレた!!」
さっきまでの余裕は一瞬で消え失せ、マーヤも長い髪を翻して走り出した。
動揺と、足首まで包み込む柔らかい砂のお陰で思い切り踏み込めない。
砂漠慣れしている奴らと違い、明らかに不利だ。

「くーっ!!何で分かったのよ!」
透明魔法は完璧だったはずなのに!
冷たい汗が一気に背中を濡らす。
エスティア辺りがいれば、今回のポカについてツッコミを入れてくれるだろうが、生憎今は彼女一人。
残念。

それでも幸い、敵の足よりも寺院への距離の方が近かった。
走る内に集中力も切れ魔法は解かれ、すっかり元の姿をさらけだしたまま、そしてその事にも気づかないままで、マーヤは寺院の入り口へ真正面から飛び込んでいった。

安全地帯どころか、今や魔物の巣窟と化している、新たな地獄の口の中へ。