朝陽が昇ろうとしていた。
穏やかな光が、ベギニア砂漠の上を通り、うっそうとした木々に埋もれたトキアス山をなでるように照らし出し、山の中程にある、古びた建物を浮かび上がらせた。
がっしりした石造りの、まるで神殿のように威厳のあるその建物は、相当の時間を経たらしく、壁にはツタが這い、石もひび割れている。
まるで廃墟だ。

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

つんざくような若い女の絶叫が、穏やかな朝の雰囲気を消し飛ばした。
巣でのんびりとしていた鳥達も、驚いてバサバサと飛び立っていった。
声は、その建物の一角から響いてきた。

ベットの上で呆然とする一人の少女。起床
頭のてっぺん、長い栗色の髪から、身にまとった薄いブルーのネグリジェからまで、水が滴っている。
白いシーツも、石造りの床も、水たまりが出来ている。
まるで、ベットの上で頭から水をかぶったように。

実際にかぶったのだ。
いや、正確に言えば、「かけられた」のだ。
誰に?
その犯人は、少女の目の前にいた。

「おはよ。マーヤ」
部屋の入り口に、同年代の少女が2人佇んでいる。
いや、ずぶぬれの少女より、ちょっとだけ大人びた感じだ。
艶やかな黒髪を、首の後ろで無造作に束ねた少女、エスティア。
大きな茶色の瞳は、柔らかな光をたたえていた。
「目、醒めた?」
いたずらっ子のようなからかい声を投げつけてきたのは、赤みをおびた瞳に、肩まで届く柔らかなウェーブのかかった黄褐色…くすんだ金髪の持ち主、フレアだ。
「そりゃもう…」
マーヤと呼ばれた少女は、乱暴に前髪を掻き上げた。髪の先から、大粒の水滴がぼたぼたと落ちてくる。
一旦閉じて、ゆっくりと再び開いた瞼の中には、青空のような、澄んだ瞳があった。
嵐の前の、青空。
茫然自失から立ち直り、ふつふつと怒りの感情が沸いてきたらしい。
そんなマーヤを後目に、エスティアがフレアの魔法を賞賛していた。
「やっぱフレアの水魔法は見事よねぇ」
水魔法。大気中の水分を集め、放出する魔法。
修得のための難易度は、中程度と言うところか。
「でしょ~」
得意げに笑うフレア。
「寝坊したくらいで毎日毎日、水魔法をぶっかけるこたぁないでしょぉ!!」
顔を朱に染め、マーヤが声を張り上げた。
「あんたが毎日毎日寝坊するからよ」
マーヤの、正当かと思える主張は、あっさりとフレアに一蹴されてしまった。
要するに、マーヤがずぶぬれになっている原因は、無防備に眠りこけている所へ、この魔法を使われたせいなのだ。
ぐうの音も出ないマーヤに、エスティアがタオルを放り投げた。
「早く支度なさいね」
くすくす声と共に、二人の少女の姿が部屋のドアの向こうに消えた後、マーヤはため息をついて、水浸しになった自分の部屋を見回した。

そう、いつも通りの朝だった。
何も変わらない、平和な日常が続くはずだった。
だが、確かに、物語はこの朝から始まるのだ……。

トキアス修行場。
かつて、魔導師を志す者達が集って、魔法の修行に励んだ場所。
今では、修行者は3人のうら若い少女しかいない。
マーヤ、16才、エスティア17才、一番年長のフレアですら、18才になったばかりだ。
ちなみに、入所した順も、歳が上の順に古い。
マーヤは、まだ修行を始めて一年あまり。使える魔法も、初歩的なものばかりだ。
そして、修行場の責任者であり、師範代である老人が一人居る。
豊かな白髭を蓄えているお陰で、皺だらけの唇は滅多に見ることが出来ない。
「頭の毛が、髭にまわっちゃったのね」と、陰でフレアが囁く通り、頭の部分の毛髪は、頭頂部から後頭部まで、見事なほどつるつるとしている。
側頭部に、わずかに白髪が残っているだけだ。
若い頃、苦労したのかも知れない。
いつか、その後頭部を「ぺんっ!」と平手打ちするのが、3人共通の野望になっている。
さぞ、気持ち良いだろう。
「今日の修行は…」
朝食を食べ終えてお茶をすすっている師範代が、おもむろに口を開いた。
汚れた食器を流しに運ぶ途中だったフレア、席を立とうとしていたエスティア、まだもそもそとパンを口いっぱいにほおばっているマーヤ、の3人の動きが止まった。
修行のメニューは、朝の師範代の機嫌によって、充実度が大きく変わる。
魔法文字の読み書きや発音の勉強は、眠くはなるが、これぞ魔導師の修行と言う実感がわく。
ところが、そんな日は滅多になくて、大抵は、修行場の大掃除とか、炎天下の草むしりなどの雑用を命じられる事が多い。
魔法を修得するに耐えうる体力と精神鍛錬のため、などと言われたが、誰が信じるんだ、そんなこと。

「きゃあっ!!」
ごうごうと吹き上げる掛けしたからの風にあおられ、エスティアはバランスを崩しかけ、必死で岩にかじりついた。
「何でたかが薬草取りに行くのに、命張らなきゃなんないのよ!」
風の音に負けないよう、マーヤが声を張りあげて嘆いた。
「ここしか道がないんだから、しゃーないでしょ!」
負けじとフレアも怒鳴り返した。いつも強気なフレアも、流石に顔が引きつっている。
3人が居るのは、切り立った崖の壁面。
壁面にへばりつき、カニ歩きでやっと歩ける細い獣道を、ゆっくりと進んでいく。
でこぼこした道は歩きにくいし、道の端はひび割れて、いまにも崩れそうなほどもろそうだ。
崖下は、真っ暗で何も見えず、かなりの高さを予想させる。
落ちたら、まず即死だろう。

今日の修行のメニュー。
まだ、無い。
「修行の前に、薬草取ってきてくれ」
と、カゴが無造作に放られてきたのだ。
修行場の裏にある崖を下ると、野生の薬草の群生地がある。
チドメグサやハライタトマレなどは、常備しておくと便利だ。
だが…それを取りに行くために命を落としたらどうしてくれるのだろう。
厳しい修行のために命を落としたのなら、まだ救われる。
薬草取りに行って転落死では、新聞記事にもならない。
別に命がけで取りに行かなくても、街に行けば安価で手に入る薬草ばかりなのだが…。

ガラッ!!
突如、マーヤの右足元の道が崩れ落ちた。
「え」

josyou1

バランスを大きく崩し、風に煽られ、マーヤの体は、空中に放り出された!!