『ビジター・アクセス・1』
驚き、と言う感情があるのなら、今がそう。
示されたその一行の警告は、それに十分値する。
「彼女」の目をかいくぐり、外からすんなりアクセスに成功した者がいたなんて。
しかも、それはシステムをスキャンしてようやく分かった程些細な足跡。
干渉された跡は無い。
ただ覗いていっただけ…?
何を?
細い痕跡をたぐり寄せて見ると、その侵入者はわざわざ軍の機密内へ潜り込みながら、さほど重要とは思われない所属軍人の個人データーへまっすぐに向かっている。
その中の――― コードNo.wー3086-5-24897のファイルへ。

コードNo.wー3086-5-24897――!

「彼女」は、またも驚かされた。
『シリア』――?

 

プロテクトの固い壁の前で、 ダニエルは軽く舌打ちした。
キーの位置が変わってる。探るのはまた骨が折れそうだ。
「ちぇっ、早速バージョンアップしてんのな」
もしかしたら昨日アクセスしたときに、ログを残してしまったのかも知れない。
シリアの追跡者が間近に迫っていることを知って、さしものダニエルも動転していた。
綺麗にログアウト出来たか断言は出来ない。
アクセス跡を知られたからと言っても、ダニエルの素性まで突き止められるわけがないが、「シリアに興味を持った部外者がいる」と言う事が分かってしまうのはまずかった。
シリア――― 強化人間の存在は、知られていないからこそ、トップシークレットなのだ。
民間企業にでも存在が知られた日には、彼女を血眼になって探すのは軍だけじゃすまなくなる。
ダニエルは一息ついてから、アクセスを開始した。
過去の進入コードからパターンを分析し、解除の確率を計算し、ダニエルの前にその計算結果が示される。
膨大な数字のロジック。
その答えを一度でも間違えてしまえば、今のダニエルの意識はプロテクトが吐き出す「ガーディアン」に「食われて」しまう。
勿論、その場合の用心にダニエルの電脳意識をコピーしたダミーを用意してはあるが、これを使ったことなど一度もない。
彼は、「コンピューターに愛された少年」なのだから。

『OK』
無機質な単語一つがポッと宙に浮かび、得意げに笑うダニエルの目の前で、壁が消えていく。
堅い守りを解いた軍のコンピューターシステムは、古巣に戻ってきた子供、かつて自らを構築したマスターをその中へと受け入れた。
「さーて、どこから手ぇつけるかな」
まず、『強化人間プロジェクト』ファイルを覗いてみた。
プロジェクトの目的の項は、上層部を納得させるためだけに書かれたと言うのがありありな小難しい文章ばかりで、あっさりと読む気を無くし、次の項へ。
被験者は、現在5人。
最初に挙げられているのは勿論、コードNo.wー3086-5-24897、パーソナルネーム、『シリア』だ。
現時点での唯一の成功例。
コードNo.wー3086-5-24897、パーソナルネーム、『シリア』での検索結果、ダニエルの前に表示された該当ファイルは一件のみ。
昨日と同じ。
昨日はじっくり読む暇もなかったシリアの個人データーだ。
今すぐにでも読みたいところだが、今いるのは言わば敵の体内。
のんびりしていては、いつ巡回プログラムに発見されるか分からない。
とりあえず丸ごとコピーして、後は――
「これで、シリアも俺と同じく軍籍抹消だな」
にまっと皮肉な笑いを、ダニエルは浮かべた。
かつての自分と同じく、名が付く全てのデーターを消去してしまおう。
そうすれば、もう追われる事もなくなる。

「シリア」
ヴンッ、とモニタの画像が切り替わる音がし、現実世界にて待機しているシリアの前に、ダニエルのアップが映った。
「今から、そっちに送るからさ。ダウンロードの準備はいい?」
「ああ」
細い指が、膝に抱えた端末のキーを押した。
HDDが稼働する音が聞こえ、DLが開始されたのを確かめると、シリアは傍らに横たわる、ダニエルの肉体を見た。
被るバイザーから伸びるコードは、シリアが抱える端末へと繋がっており、小さな身体はぴくりとも動かない。
「………」
ダニエルは、よくシリアに向かって、無防備すぎるだのと喚いているが、そう言う自分だってそうではないか。
電脳界に意識を飛ばしている、そんな無防備なところを、シリアに晒しているのだから。
元は軍の実験体だったと明かした後なのに。
ここでシリアが、軍への忠誠に突如目覚めて、彼の身体を手土産にしてしまったらどうなるのか。
「――そんな事、天地がひっくり返ったってあり得ないが」
シリアには珍しく、独り言を呟いて笑った。

目の前で展開されるダウンロードの流れを傍観しながら、ダニエルはふと眉をひそめた。
一つだけ、コピーが出来ないフォルダがある。
それなのに、警告文すら出ず、そいつだけすっ飛ばされて作業は続行されてしまっている。
「…なんだ?」
機密事項の中に、更にコピーガード…?
しかも、フォルダの存在すら悟られぬ様に巧妙に仕掛けられて。
念のため、他の強化人間プロジェクトの被験者のフォルダを検索してみたが、そんなガードシステムはかけられていなかった。
どうして、シリアだけ――?

そう訝った次の瞬間、映像が乱れた。
「?!」
ダウンロードは強制終了され、ダニエルの周りを蛍光色のアルファベットが取り巻いた。

SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH ―――
shilia4
「な…何だよ、これ?!」

スクロールは止まらない。
同じ文字だけが、延々と下から上へと流れ続けていく。
ダニエルに解析できない式なんて無い、のに…!
目の前に羅列され続ける無数の、たった二つの単語。

『SHILIA』『SARAH』

計算が追いつかない!!
ダニエルは戦慄した。
特A級である電脳師の自分を超える計算速度を弾き出せる者がいるなんて!!

SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH SHILIA SARAH

駄目だ!これ以上は…!
回線が焼き切れちまう――!!

「うわあああああああ!!」
「坊や!!」

自分の叫びとシリアの呼び声が重なるのを、ダニエルはリアルな音声で聴いた。
バイザーは引き剥がされ、まだぼやける視界の中、シリアがダニエルを覗き込んでいる事を、ようやく認識できた。
「大丈夫か?」
「シ……」
シリアの名を呼びたかったけれど、舌が口の中に貼り付いて上手くしゃべれない。
額を、嫌な汗が濡らしていた。
顔だけじゃない、背中も手も、気持ち悪いくらい汗が滲んでいる。
「何があった?」
まるで部下の不始末を咎める上官と言った感じで、シリアがダニエルに問うた。
「……だよ」
息も絶え絶えに、ダニエルは、シリアの腕にしがみついた。
その手が震えている事に、シリアは困惑した。
「シリアは……一体、何なんだよ」
 
 
 
 

「馬鹿な!」
コンソールルームのモニタ前で、怒りの拳をパネルに叩き付ける軍服姿の影がひとつ。
補佐役のSE達は、その矛先が向くのを恐れて遠巻きに見守っているだけだ。
シリアの信号が、消えていた。
どうして?いつから?どうやって?
受信記録は、この際全く役に立たない。
誰の仕業か、彼女に埋め込まれた発信器と同じ周波数をシティ各地の電波塔から流した馬鹿がいたのだ。
スラムに逃げ込んだのは間違いない。
あと一歩と言うところで逃がし、改めて追跡しようとした時に、その電波の罠だ。
クラックされた信号機を修復するのに手間取り、ようやく全てのダミー電波を消し去ってみれば―――
肝心の獲物の発信は、ふっつりと消えていたなんて。
死んだ、とは思わなかった。
あの女が、そんなタマか。
戦闘用アーマロイドと、その肉体で対等に渡り合える生身の人間―――強化人間が。
それに、仮に死んだとしても、発信器は作動し続けるはずだ。
脳が木っ端微塵にでもされない限りは。
まさか―――
「協力者がいるのか?」
それなら、電波塔クラックの件も頷ける。こんな短時間の間に、シリアに出来る芸当じゃない。
誰かが彼女を庇っている節が、スラムでの件と言い、見られる気がする。
そして、脳の奥底に埋め込んだ、極小のチップ―――できものを取るのとは全く訳が違う。
軍の医療機関か、余程整った施設と腕の良い医者がいなければ、取り除けやしない。
だが、その存在をずっと軍に隠蔽され続けてきたシリアに、外の世界の知り合いは皆無といって良いはず。
―――いや。
部下の報告を思い出した。
スラムで、シリアが子供と一緒にいたと言う目撃談。
そして、シリアが身を隠していたと言う住居の持ち主。
スラムの人口は、親がいない子供達が殆どを占める。
生きるのが精一杯なあいつらは、盗みも人殺しも全く厭わない。
外部からの人間を見かけると、それこそケーキに蟻がたかる様に群がり寄ってくる。
スラムと一緒にいたと言う子供も、そんな中の一人だと思って重視していなかったが…
「まさか、な」
苦笑して、その考えを振り払った。
シリアと子供 ―――
あの女が、誰かとつるむなんてあり得ない。
まして、スラムのガキ出来る事など、せいぜい密売くらいだろう。

(それとも、どこぞの企業にでも嗅ぎ付けられたか…?)
士官は、あまり愉快でない想像に頬を歪めた。
軍が極秘に開発した素体―――
電脳化が進む世の中とは言え、未だ、身体を機械化する事に拒否反応を示す人間も数多い。
それでも、病や怪我は恐ろしい。
そんな不安とは無縁の、機械を超える肉体能力を持つ、強化人間…
商品化の利益を考えると、涎が止まるまい。
勿論各企業だって独自に研究はしているはずだが、民間企業の研究施設がシリアほど完璧な完成度に容易に到達できるものか。
(そんな事…ある訳がない、とは思うが……)
目線を、モニタから、ルームのスタッフ達へと向ける。
「チームのスポンサーになっている企業の動きを、一応チェックしてみてくれ」
「はっ…はい!」
士官の言葉に、弾かれた様にSEの一人がコンソールに向かった。
「…まさか、企業に奪われたと?」
不安気なスタッフの声に、
「念のためだ。他の者は、引き続きシリアの動きを探せ」
そう指示した後、思い出した様に、付け加えた。
「それと、ダニエルとか言う12歳くらいの坊やについても、一応調べられたら報告してくれ」
 
 
 
 
「『SARAH』…?」
おうむ返しに、 シリアは繰り返した。
「分からない。その名に、心当たりは無いな」
「シリアの個人データーに干渉しようとしたら、そいつに邪魔されたんだよ」
ダニエルは、苦虫を10匹ほど噛み潰した顔でバイザーを放り投げた。
無理もない。
軍に作られたとは言え、自分の能力は電脳界で及ぶ者が無いと自負出来るものと思っていた。
それなのに―――
「ウィルスでも、ワームでも無い…。そいつは、意志を持ってた。まるで、シリアを守る様に」
「意志…?AIと言う事か?」
「違う…そんなんじゃないんだよ!あーっ、何て言ったらいいのかな!!」
もどかしげに、ぐしゃぐしゃと自分の頭を両手でかき回す。
あの時、プログラムに触れた、あの瞬間の感覚。
『SARAH』は、『SHILIA』を守り、そして求めてた。
軍にとって、シリアの価値は、強化人間プロジェクトの成功例と言うだけじゃなかったのか?
肉体的には強化されているが、それ以外―――こと電脳関係なら、専門たる電脳師に及ばない。
それは、シリア自身も明言していたじゃないか。
それとも、それはシリア自身が追い求めている、「忘れている何か」と関係があるんだろうか?
今は聞き覚えのない『SARAH』と言う名前が。
「………」
すっかり自信を喪失し苦い顔のダニエルを眺めていたシリアは、おもむろにベッドの上に放り出されていたバイザーを取り上げた。
「シリア?!何する気だよ!」
それに気付いて慌てるダニエルに、シリアはいつも通り平然と答えた。
「今度はあたしが潜ってみる」
「ば、馬鹿っ!たった今、危険だって言ったばかりだろーが!!俺だって危うく消されかけたんだぞ!」
「何故それほどあたしのファイルが重要視されているのか、確かめたいんだ」
ダウンロードの最中、突然に、意識を失っている筈のダニエルの肉体が苦しそうにのけぞったのを見た時は、シリアだって驚いた。
その原因が、自分に関わるものとなれば、シリアだって静観してなどいられない。
軍時代のパスワードは、まだ使えるだろうか。

「………」

だが、端末の上に走らせていたシリアの指が、ぴたりと止まった。
「シリア…?」
ダニエルは、恐る恐るシリアの顔を覗き込んだ。
ダニエルの忠告を聞き入れた、と言う訳ではなさそうだ。
バイザーをはずした鋭いアイスブルーの瞳が、ダニエルの顔をすり抜け、その背後を睨んでいる。
つられて振り向いたダニエルが見たのは、飾り気のないオートロック式のルームドア。
「…坊や」
「な、なに?」
折りたたんだ端末をダニエルに返すと、シリアはゆっくりと立ち上がった。
「ここは、8階だったな?」
「そ、そうだけど…」
ただならぬ様子に、おどおどと答えるダニエルの頭にベッドに投げ出されていたベレー帽を被せ、自分は壁にかけていた愛用のパーカーを羽織る。
「なら、大丈夫か」
シリアの呟きと同時に、可愛らしい音のチャイムが響いた。
「ルームサービスです」
インターフォンからの声を無視し、シリアはつかつかと窓辺に歩み寄り、カーテンを開け放った。
すぐ下は、ビルの間に挟まれ、街灯もない薄暗い路地。
人影が無い事を確認し、シリアは薄く笑った。
「し、シリア…?」
状況が掴めないダニエルは、端末を両腕で抱えながらオロオロとドアとシリアを見返した。
その間にも、チャイムとノックの音が連続的に響く。
「行くぞ」
「えっ?」
丁度ドアの方を向いていたダニエルには、何が起こったのか分からなかった。
突然背後からもの凄い力で襟首を掴まれたと思ったら、

「わあぁっ?!」

冷たい風が吹き付け、ダニエルシリアと共に一瞬で空中へと飛び出していた。
その耳をつんざいたのは、窓ガラスが割れる音だったのか、それとも―――ドアを引き裂いた銃声か。
ガラスの破片と一緒に落下する視界から消える瞬間ダニエルが見た室内は、ドアを破ってなだれこんできたカーキ色の影の山だった。
「し、シリアぁぁぁ!ここは8階ぃぃぃ!!」
「舌噛むぞ」
半分本気で泣き喚くダニエルの絶叫を一言で片づけ、シリアは空中で彼の小さな身体をぐいと片腕で抱えこんだ。
横面を、もの凄い早さで空気とホテルの窓が流れていく。
次いで、衝撃がダニエルの身体を揺らし、視界も流れを止めた。
はじけ飛ぶゴミバケツや舗装コンクリートの破片、立ちこめる砂煙が着地の衝撃を物語っていた。
「はわっ!!」
涙目になったダニエルが一息つく間も無く、シリアは彼を抱えたまま着地の反動を利用し、ビルの隙間へと跳ね飛んでいた。
その足下のコンクリートを、階上から放たれるライフル弾が穿っていく。
8階と言う高さと照明の死角が彼女たちに幸いし、プラチナブロンドをなびかせた獲物はあっという間に武装兵士達の視界から姿を消してしまった。

もはや喚き立てる元気もなく、ダニエルはそのままぐったりとシリアの腕に身体を委ねていた。
どちらにしろ、腰が抜けて彼は歩けなかったろうから。
一言だけ、彼は言った。

「スラムに…戻って、シリア」
 
 
 

「こちら、ピアーズ。…ビンゴ、でしたが……その…」
「取り逃がした、か」
ヘッドフォンから聞こえる上官の声に、割れた窓の前で路地を見下ろすピアーズ三等曹長は震え上がった。
装甲服で固めた強面の軍人も、今や形無しだ。
「ま、まさか8階から飛び降りるとは予想してなかったんで、その…。現在、懸命に追ってますが」
「自分が何を捕らえようとしたのか、分かっていなかった様だな」
冷たい声で、通話は向こうから切れた。
「……クソッタレ、ガキが!」
数人の部下が見守る前で、彼はヘッドフォンを床に叩き付けた。
 
 
 

『ターゲット・ロスト』

「彼女」は、目を閉じた。
あれは、シリアだったの?それとも―――
「彼女」に許された思考は、そこまでだった。