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淀みきった血を思わせる濃い夕焼けが沈むと、世界を黄昏が支配する。
今、大地を染めている禍々しく赤い筈の色は、月明かりに照らされて蒼く見えた。

「けっ…。ざまあ見やがれ」

若々しい顔に、だが今悪鬼の形相を浮かべ、ライは自らの腕を見た。
その先にある鋭い爪にこびりついているのは、鮮血と肉片。
その足下にあるのは、無数の肉の塊。
――つい先刻まで、悲鳴を上げて逃げ惑っていた者達の。

「そうさ、俺は化け物になったよ。…あんた達のお望み通りに……な」

呟きながら指先をすでに赤く汚れた口元に持っていき、これまた赤い舌で血を舐めとる。
大きく吊り上がった唇から覗くのは、人間にはあるまじき鋭い二本の牙。これを備える者といえば――

「やれやれ。起きてみれば、この有様か」

不意に場違いなほど落ち着いた男の声が聞こえ、ライは愕然と振り向いた。

「なっ……!」

まだ生き残ってやがったのか?!驚きつつも即座に相手に飛びかかろうとして――息を呑んだ。
もう陽は沈み、辺りは暗く、だが軒を連ねる村の家には明かりが灯ることもない。
なのに、その一点から光が湧いているように見えた。

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光と、それに──闇。
相反する二つを思わせる人影が、死体の山の影に飄然と立っていた。
夜風にさらりと揺れる黄金色の髪は月明かりよりも輝き、同じ色の瞳は神秘的な色合いをたたえてライを射抜いている。
まとう闇色のコートはその金の光をさらに神々しく映えさせていた。
そしてそれよりも目を奪われるのが――その美貌。
こんな状況で、しかも同性だというのに、魔物であるライをも恍惚と魅了せしめるその美しさ。
彼はしばし言葉を失い、その場に立ちつくした。

地面を埋めるおびただしい死体の山にも、腕と言わず口元と言わず全身を朱に染めたライの姿を見ても、相手は平然としていた。
逆に、見つめられているライの方が落ち着かなくなる。

「人間…じゃ、ねえな。あんた……」

ライの問に、相手は答えなかった。

「目覚の喉湿しも、これでは出来んな」
軽く笑い、興味無げにライから視線をはずすと、そのまま立ち去ろうとする。
無防備に向けられた背中に、だがライは襲いかかることが出来なかった。
あの瞳に見つめられただけで全身が硬直した。
大鉈や猟銃を構えた村の男を10人以上相手にしたときだって、こんな事はなかったのに。

「ま、待てよ! てめぇ何者だ?!」

ライの叫びにも、相手は応えない。死体を踏みつけ踏み越え、ライは男を追った。
こちらは懸命に走っているのに、悠然と歩む相手になかなか追いつけない。
ライこそ、人間にはあるまじき力を備えていると言うのに、相手はそれを越える――

(まさか…まさか……)

ふっと相手が歩みを止めた。
お陰でようやく腕の届くところまで追いつき、黒いコートの肩に手をかけようとした。
その途端、

「うわっ?!」

突風でも吹き付けたかのように、ライの体は弾き飛ばされた。
それでも地面に叩きつけられる前に一転して着地したのは、彼ならではの体術か。

「何か用か?  ……の子が」

男がこちらに振り向いていた。
その声は、現れた時と同じ、何の感情も感じさせない。
そして、先ほど吹き飛ばされたのはこの男が何かしたわけではなく、一瞬だけ解放された凄まじい鬼気によるものと分かったとき、ライは再び戦慄した。
それでも──
その美しさは恐怖を凌駕した。
静かな、それでも圧倒的な威厳の前に、ライはまたしても言葉を失った。
この雰囲気、そしてこの姿…決して人間ではあり得ない。

「あんた…もしかして――」

最後の言葉を言う必要はなかった。
ライの言葉に、男は微かに口を開いて笑った。
そこから覗く、ライと同じ二本の牙が、その答えだった。

 

 

『ユダの子ら』

人間にも人種の違いがあるように、吸血鬼にも様々な種族が存在する。
赤毛に青い目を備えた人間はこう呼ばれ、死後吸血鬼になるとされた。
赤い髪は、吸血鬼を指す色なのだと。

イスカリオテのユダ

それは、欲に目が眩み、神の御子を売り渡した罪深き罪人の名。
赤毛だったユダ。
その子孫が「ユダの子」と呼ばれ、永遠に呪われた罪業を背負わされることになるのだと、伝承は伝える。
呪われた吸血鬼の一族となって、未来永劫――

ライの両親は、二人とも赤毛ではなかった。
母はブルネット、父はブラウンの髪。
なのに、生まれた子は、血の色をした赤い髪、そして瞼の下には青い瞳を秘めていた。
ああ、せめて、せめてどちらかが欠けていれば…!
だが、彼は両方を備えて生まれてしまった。
彼を取り上げた産婆が凍り付いたのも、むべなるかな。
この有名な言い伝えを知らぬ者は、この地方にはいなかった。
それが、一家の、彼の、村の悲劇の始まりだった。

様々な人種が存在するこの世の中、赤毛など珍しくもない。
伝説など笑い飛ばしてしまえばいい。
そう言い放てる者がこの時代どこにいるだろう。
そのような不信心者は死後その魂を煉獄へと堕とされ、永遠に呪われる。
今生きているこの時よりも、死んだ後の世界への恐れの方がずっと強かったのだ。
この地方に赤い髪の人間が滅多にいないことも災いした。

ライの両親も、清く信心深かった。
そんな二人の間に、こんな穢れた呪われし御子が生まれ落ちようとは。
夫婦は生まれ育った住み慣れた村を追われ、耐え難い苦労を重ねつつ、転々とあちこちの村を彷徨う羽目になった。
ライ自身は、髪と目の色の事さえなければ、ごく普通の子供と変わらない。
鋭い爪も牙も無いただの人。
それなのに言い伝えと周囲の偏見は彼と家族を苦しめ続けた。

髪を黒く染めたこともある。
だが、それこそやはり呪いなのか、すぐに真紅の色に戻ってしまうのだ。
美しく、そして呪われた証である赤い髪に。
日中外を出歩けば、同じくらいの歳の子供から石つぶてと共に挨拶代わりの罵声が飛んでくる。

「見てみなよ。吸血鬼がお日様浴びても平気で歩いてらぁ」
「目ぇ合わせるな。血ぃ吸われちまう」

尖った石の先が当たったこめかみの傷から伝う一筋の血を、涙と共に舐めたとき、幼かった彼は初めて心の底から願った。

吸血鬼になりたい、と。

赤毛にまつわる伝承が知られていない、そして赤毛と青い目の組み合わせが珍しくない地方にようようたどり着いたとき、心労がたたった両親は揃って床についた。
母親が倒れ、次いで父親も伏したとき、ライは18になっていた。
今まで呪われた存在と忌まれつつも、この両親だけは、彼を見放しはせずに育て続けてくれた。
錯乱し、我が子の両目をくり抜こうとした母親。
思いあまって首に手を掛けかけた事もある父親。
それでも、最後には我が子への愛情が勝った。
だからこそ、ライもまた、人間として生きて来られたのだ。
が、彼らもとうとうライを置いて逝ってしまった。
彼はたった一人、取り残された。

自分のせいで人生をめちゃくちゃにしてしまった両親。
せめて、生まれ育った地で眠らせてやりたかった。
追い出された土地と言えど、両親にとっては思い出の地。
いつか帰りたい、と、何かの拍子で夫婦が話していたのを、彼はずっと忘れなかったのだ。

なけなしの金で買った馬車に両親の棺を乗せ、忌まわしい思い出のある村に到着するまでの、半年にも渡る長い道のり。
険しい崖を乗り切り、夜盗を振り切り、ようやく辿り着いた小さな山村。
立派な若者に成長したライを、村人達は歓迎するどころか、畏怖した。

「吸血鬼が帰ってきた!!」

長い旅を続けて生まれ故郷に戻って来た彼に、これが労りと挨拶の代わりに贈られた言葉。
誰が最初にその一言を投げつけたのだろう。
ライにその名を付けたジェナー神父だったろうか。
かつて隣の家に住んでいた、両親と仲が良かったというハーベイ老人だったかもしれない。
もう18年もの歳月が過ぎ去ったと言うのに、この村は時を止めたままだった。
ここでは相変わらず、ライは異端な魔物の御子だったのだ。
両親の遺体を引き取るどころか、さっさと出て行けと村長に冷たく命じられ、汚物でも見るような周囲の視線を感じた瞬間、ライの中で何かが切れた。
18年間、積もりに積もったものが、ここに来てガラガラと大きく音を立てて崩れ去った。

生まれたときから吸血鬼呼ばわりされ、そして自分を人間として扱い、留めてくれた両親はもう居ない。
ならば、人間でいることに、生きていくことにこだわり続ける理由はもはや、彼にはなかった。

吸血鬼になってやる
吸血鬼になって、てめえらを引き裂いてやる
お前達が俺を吸血鬼だと言うのなら、その望み通りになってやるさ!

彼はそう叫ぶと、馬車から両親の棺を引きずり下ろした。
その前でやおらナイフを取り出すと、一気に自らの喉を掻ききった!
首から吹き出した大量の血は彼の深紅の髪を真紅へ染め上げ、二つの棺を赤黒く濡らした。
最後に青い目に浮かんだ涙は、無念のものか、それとも人を辞めた歓喜によるものだったのか――

恐ろしく壮絶な光景に、遠巻きにして嫌悪の目を向けていた村人達は悲鳴を上げ、おののき、一様に慌てて十字を切った。
自殺は、真っ向から神の意志に背くこと。
元は村に住んでいた者と言えど、葬儀などもっての他だった。その身内も。
彼の遺体は両親の棺と共に、日中でも陽が差すことのない薄暗い墓地の隅に打ち捨てられた。

伝承を尊び信心深く神を慕う村。
ああ、伝承を真実と知り、彼を追い立てたならば、どうしてその後の処置を怠ってしまったのか。

赤い髪
青い瞳
怨念
自殺
不適切な葬儀

呪われし者の条件は揃った。
伝承を思い出せ。
「「ユダの子」は、死後吸血鬼になるのだ」と――

かくて聖書が語る40日後、吸血鬼は誕生したのだ。
ライと言う名の人間はもう死んだ。
青かった瞳は、今や髪と同じ血の色を爛々と燃やして。
そこにいるのは、かつてこの村人達が恐れ嫌悪した、正真正銘の魔物の姿だった。