「マーヤ!」
とっさに伸ばしたフレアの手は、マーヤの髪に触れることすら出来ずに空を掴んだ。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
マーヤの姿が、悲鳴と共に谷底に吸い込まれて小さくなっていく。

「浮遊魔法!!」浮遊魔法
エスティアの気合いのこもった声と共に、マーヤに向けられた指先から淡い光が走った。
光がマーヤの体を包み込み、落下を止めた。
自分やそれ以外のものを空に浮かせることが出来る、エスティアが得意とする特殊な魔法。
「あ…」
マーヤの絶叫が止まり、その体も落下が止まったと知ると、残りの二人も全身で安堵のため息を吐いた。
当のマーヤは、落下のショックで未だに事態が飲み込めず、呆然としている。
落下が止まっているとはいえ、捕まるところもない空中でゆぅらゆら浮いているわけだから、安心など出来るわけもない。

「んー、止めたは良いけどぉ」
エスティアが困った顔をした。
「とっさに掛けた魔法だから、ここまで引き上げる力はないのよねぇ」
空中にいるマーヤに聞こえたら、卒倒しそうなことを呟いた。
「マーヤ!聞こえる?!」
フレアが、自分たちより10m下にいるマーヤに大声で呼びかけた。
当のマーヤは、聞こえているものの、怖くて歯の根が合わず、返事が出来ない。
「上まで引き上げるのはしんどいから、崖下までゆっくり下ろすからね!途中で魔法が切れても、恨んじゃダメよ!!」
あ、言っちゃった…。
「ぢょっとぉぉぉぉぉ!!フレアぁ?!崖下までどれくらいあるのかわからないのにぃぃぃ!!」
マーヤが顔面蒼白で喚いた。
「だいじょぉぶ!私達も今から降りるから!!」
何が大丈夫なのか、追求するのは止めよう。
大声の会話が続く間も、マーヤの体はゆっくりと下降を始めていた。
目の前の景色が下降して行くに連れ、マーヤは口を閉ざした。
少しでも体を動かしたら、浮遊魔法が解除されてしまうとでも言うように、体をエビのように丸めて固まる。
よせばいいのに、思わずちらりと下を見てしまった。
鬱蒼とした茂みが広がっている。その先は、真っ暗で地面がどの位の位置にあるのか分からない。
もし落ちたら……。

「はぁ…」
エスティアの様子がおかしかった。
眉を潜めて、難しい顔をしている。
「エスティア?どしたの?」
その途端、

「ふぇっくしょんっ!」
可愛らしいくしゃみがエスティアの口から飛び出した。

「あ」

エスティアの意識がふっと緩み、魔法が解けた。

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!

またも、マーヤの体が重力に任されることになった。
崖下を覆っている茂みに、背中からバサバサと突っ込む。
枝と葉をまき散らしながら、マーヤの姿は崖上の二人の視界から消えた。

「マーヤ?!」
流石に慌てたフレアの声が崖に反響する。
「こんな時にくしゃみなんかするなぁ!!」
「んなこと言ったって、自然現象なんだからしょうがないでしょ!」
口論しながら、二人も崖下に身を躍らせた。

木の枝がマーヤの服や皮膚をこする。
「いててっ!!」
すごいスピードで木々の間を落ちていく。
枝に捕まろうとしても、落下のスピードが速すぎてタイミングがつかめない。

この若さで、こんなとこで、こんな死に方だけは死にたかないぃっ!

ばふっ

「わぁっ!」
茂みを抜けたと思ったら、草むらの上に投げ出された。
柔らかい草の上とはいえ、思い切り尻餅をついてしまい、痛さに涙が出た。
「………!」
痛みで一瞬世界を見失ったが、尻餅を付いたと言うことは、落下が止まって地面に着いたと言うことだ。
「た…助かったぁ……・」
安堵の余り、マーヤは腰を抜かしてしまった。どちらにしろ、お尻が痛くて、すぐには立ち上がれなかったのだが。
とりあえず、転落死の危機は去ったのだ。

でも、ここはどこ…?

「マーヤ!生きてる?!」
エスティアの繰る浮遊魔法は、自分を含め二人まで使うことが出来る。
フレアとエスティアは、その魔法でふわりと崖下に舞い降りた。
先程、マーヤの姿を隠した茂みのすぐ下は、広々とした草原になっていた。
その草原のど真ん中に、 マーヤはぽつんと座りこんでいる。
「マーヤ…?」
落下のショックでどうにかなってしまったのかと、エスティアが恐る恐る声を掛けてみた。
反応無し。
前に廻ってマーヤの顔をのぞき込んでみる。
いつも曇りのない青い瞳は、今はどこか、焦点の定まらない目をしていた。
「あそこ…」
操り人形のようにマーヤが指さした先に、二人の少女の視線が向かう。

切り立った崖の壁面を覆う蔦の影に、ぽっかりと暗い穴が口を開けていた。
良く見なければ分からない、まるで隠されているように、洞窟の入り口がそこにあった。

「火炎魔法」
ぽっと柔らかな光が、暗闇を照らした。
マーヤの掌の中で、小さな炎がちろちろと燃えている。
先程惚けていたのが嘘のように、今のマーヤは生き生きとしていた。
何だろう。胸がどきどきする…。
最小限に制御した炎を明かりにして、その炎を操るマーヤ、その後をエスティア、フレアという順で、暗い洞窟をそろそろと進んでいく。
しーんとした静けさの中、3人の靴音だけが妙に響いた。

修行場の裏の崖下にこんな洞窟があるなんて知らなかった。
お師匠様は何も言っていなかったから、彼も知らないのかも知れない。
「…この洞窟、自然に作られた物じゃないよね」
くねくねと入り組んだ道も、壁面も滑らかに舗装されており、明らかに人の手が入っていると分かる。
誰かが、何かの目的で、この洞窟を作った?
「て事は、お宝が隠されてるかも?!」
光る物に目がない、自他共に認める光り物マニアのエスティアが、目を輝かせた。
確かに、その可能性は高い。
昔、この辺りを荒らし回った盗賊達の財宝の隠し場所、なんて、ありそうな話だ。
特に、このトキアス山のようにへんぴな地なら、誰も探そうなどとしないだろう。

お宝が隠されているかも

その予想は、3人の胸を高鳴らせた。

しかし、隠す物は、お宝だけとは限らないと言うことに、誰もこの時想像もしなかったのだ。