かれこれ20分以上は歩いただろうか。
先頭を行くマーヤの足が止まった。
「行き止まり…?」
目の前には壁が立ちはだかっていた。
今まで一本道だったから、道を間違えたと言うことはないはずだ。
宝探しに燃えた人間が3人も居るのだから、脇道があったとしたら見逃すはずはないのだが…。

「え~?!ここまで来て、単なる行き止まりぃぃ??!!」
お宝ー!と騒ぐエスティアをなだめているフレアを横目に、マーヤは突き当たりの壁をじっと見ていた。
滑らかな壁の表面に、何だか絵が見えた気がしたのだ。
火炎魔法のレベルをちょっと上げてみる。
手のひらの中の炎が大きくなりあかあかと洞内を照らした。
それに連れて、壁面の絵も浮かび上がった。

紋章(洞窟内)三角がいくつか組合わさり、中心に向いたり外を向いたりと、何だか複雑な図柄が茶色い壁に描かれていた。
「紋章…?」
魔法陣とは違う、でも何らかの意味のありそうな絵柄。

あれ…?これ…どこかで見たような………

「ん?ねぇ、地面に何か貼ってあるよ」
エスティアの声につられて、フレアも地面に視線を落としてみた。
歩く度に足下で何かカサカサいうとは思っていたが、確かに地面に何だか紙が敷き詰められている。
「これ…お札?」
紙には、それぞれ複雑な魔法陣や呪文が描かれているようだった。
その中には、修行中に読んだ魔導書に載っていた呪札にそっくりなのもある。
確かこれは…封印に使われていた様な…。
記憶を呼び起こそうとしているフレアの嗅覚に、何だかこの場に相応しくない香りが触れた。
「何だか焦げ臭いよう…な…」

マーヤが壁面の紋章に魅入られている間に、フレアとエスティアの目も釘付けになっていた。
マーヤの手元に。
壁面の絵をもっと良く見たいと近寄ったマーヤの掌の炎は、ちりちりと壁に燃え移っていた。
土の壁に?
いや、壁はただの岩壁ではなかったのだ。火付け
「マーヤ!!壁が燃えてる!!」
エスティアの悲鳴にはっと我に返ったマーヤが見たのは、壁を一面びっしりと覆っている大小の古びた紙片だった。
「きゃーーー!!なっ?何これぇ?!」
ビックリしすぎて思わず掌の炎を消してしまったが、壁面に燃え移った炎があかあかと周囲を照らしている。
よく見ると、洞内の壁と言わず道と言わず、隙間無くお札で埋め尽くされている。
「水魔法!!」
かざすフレアの手から、水の流れが迸った。
勢い良く、炎の壁にぶち当たる。
じゅわぁぁぁっと凄まじい音と水蒸気が立ち上り、三人の視界を一時遮った。
のもつかの間、またもばっと炎は勢い良く立ち上った。
「炎の勢いが強すぎる」
フレアが舌打ちしたのと、地面がガクンと揺れたのはほぼ同じ。
「地震?」
バランスを崩したエスティアが、思わず側の壁に寄りかかる。
壁は炎の熱を伝えて、じりじりと熱くなっていた。
手を突いたエスティアも思わず飛び退いた。

「とりあえずこの火をなんとか…」
言いかけたマーヤの口が止まった。
ぞくりと背筋を冷たいものが駆け抜けた。
何?この妖気……!
息が詰まるほどの圧迫感と冷感。
思わず体が硬直したとき、凄まじい音が炎の中から聞こえた。
炎の中から、岩の破片をまき散らしながら真っ赤な液体が躍り出たのだ。
「溶岩?!」
トキアス山は確かに火山だったが、もう長いこと休火山だった筈だ。
それが今…赤黒い溶岩を洞窟内にまき散らし始めた。
先程の地震は噴火前の予兆か?
わき出た溶岩が周囲の壁を炎の舌でなめていく。
炎は勢いを増し、三人をも覆い尽くそうとしている。
「逃げるわよ!!」
フレアの号令に、はじかれたように三人の見習い魔導師達は元来た道へ向かって駆け出した。

無言の中、荒い息づかいだけが三人の口から漏れる。
古びたお札は炎の恰好の導火線だ。
三人が走るよりも早い。
炎で進退窮まりそうになったときは、フレアの水魔法に助けられた。
炎の熱で洞窟内は蒸し風呂状態だった。
恐怖と暑さ、それに絶え間ない地震の揺れのお陰で足下がふらつく。
だが、足を止めるわけにも行かなかった。
炎はもちろんだが、別の追跡者もいた。
溶岩だ。
本来はゆっくりとしか流れることの出来ない溶岩は、まる意志がある物の如く三人の行く手を阻もうと追ってくる。
「やだー!どろどろに溶けて死ぬのは~!!」
マーヤが喚いたとき、フレアがさっと溶岩の前に立ちはだかった。
「このフレアが溶岩や炎なんぞ恐れるとお思い?!」
不敵な笑いと共に、右手を突き出す。
「壁魔法!」
澄んだ声と共に、前方にキンッと見えない壁が出現した。
追いかけてきた溶岩も、もう少しで追いついた炎の固まりも、その壁に阻まれた。
見えない障壁を作り出す、防御系としては初歩的な魔法はこの時二人の同僚に歓喜の声と拍手で讃えられた。
ふふんと髪を掻き上げた余裕もつかの間、ガクンとフレアは地面に膝をついた。
「フレア?」
助け起こそうとしたマーヤの目に映ったのは…
「もう…駄目よ。皆ここで死ぬしかないのね……・」
先程の明るい態度から一転して、暗くうつむいたままぶつぶつと呟き続ける同じ人間の姿だった。
「も…もしかして」
青ざめて顔を見合わせるマーヤとエスティア。
「『鬱』になっちゃったの?!」
こんな時に…!

『躁鬱病』という心の病がある。
これは、人格は一つなものの、態度と心の持ちようがガラリと変わってしまう精神病の一つだ。
フレアの場合…
『躁』の時には自信に満ちあふれ、魔導力は最大まで、時には限界を超えてまで発動されることもある。無敵な状態なのだ。
それが一旦『鬱』になると、無気力状態、魔法はおろか通常の行動すらおぼつかなくなり、悲観的妄想に捕らわれてしまう。
これと普通の状態の、3つのサイクルがいつも彼女の中でくるくる入れ替わっているのである。
この入れ替わりが一体何時来るのかは、彼女自身にも分かっていないのがまた困りどころではあるのだが。
そして今、もうすぐ脱出!という時に、彼女のモードは『躁』から『鬱』になってしまった。

急がないと壁魔法が解けてしまう。
今、まさに炎と溶岩が迫り来るという時、マーヤとエスティアは…
「じゃーんけーんぽいっ!」
勝負は2回のあいこの後、勝負はエスティアのパーの敗北で決まった。
「出口だ…!」
走るマーヤの前方で、炎の出す人工的な光とは違う、暖かい自然の光が漏れていた。
その後ろを、フレアを背負ったエスティアがえっちらおっちらと追う。
公平なジャンケンの結果がコレだった。
『躁』状態のフレアの壁魔法は通常以上の威力を発揮し、三人が入り口まで逃げ戻るまでの間、見事に炎と溶岩をくい止めてくれた。
こけつまろびつ、三人が洞窟の外に文字通り転げだした瞬間、ゴゴゴ…と腹の底から響くような地鳴りと音がした。
次の瞬間。
もの凄い轟音と共に、トキアス山の山頂が火を噴いた。
溶岩と岩盤をまき散らしつつ、天に向かって炎を吐きだした。
トキアス山が数十年、数百年ぶりに噴火したのだ。

「ん…?」
トキアス修行場のただ一人の師範代はペンを置いた。
空気がおかしかった。
この妖気は…まさか…

「間一髪だった…わ…」
腰が抜けて座り込むマーヤの動きが止まった。
傍らのエスティアも、同じ所を凝視している。
関心がないようにうつむいているのはフレアだけだ。
「何…あれ……」
エスティアの声が震えた。
トキアス山の噴火口、炎と溶岩の柱の影に、何かが蠢いていた。
黒煙に紛れて、それとは別の、黒い影。
まるで、トキアス山から這い出すように、そいつは出てきた。
「煙じゃない…。この禍々しい邪気は…一体何…?」
背骨に氷の柱を突き立てられたような感覚。
マーヤの脳裏を、嫌な予感が走った。

まさか、あのお札は…!

「修行場に戻るわよ!お師匠様に報せなきゃ!!」
よっこいせとフレアを背負ったエスティアの声に、マーヤは飛び起きて後を追った。

バタバタと修行場の中を一路走る。
師範代の自室は奥まった一角だ。
この距離が今はもどかしい。
「お師匠様!大変です!!」
樫作りの頑丈な扉をバンッと勢いよく開けたマーヤの目に飛び込んで来たのは、書き物机に突っ伏している師範代の姿だった。机の上には、羽ペンや羊皮紙が散らばっていた。
フレアを背負っている分遅れて追いついたエスティアも入り口で固まってしまった。
「お師匠様!?」
叫んで駆け寄った三人の目の前で、見慣れた師範代の姿が変化していった。
微動だにしなかった体が、三人が動いた空気の流れで揺れたのか、ずるりと崩れ落ちると同時に灰色の灰と化してしまったのだ。
衣服だけ残して。
「お師匠様!!」
弟子達の悲鳴が室内にこだました。
『鬱』のフレアですら思わず目を見張ったほど、それは衝撃的だった。
「は…灰になっちゃった…」
涙目でぺたんと座り込んでしまうエスティア。
あの、影の仕業…?
三人の脳裏を、トキアス山から抜け出た影の姿がよぎった。
あれは…あれは一体何だったんだろう…。

「その灰を集めて!お師匠様は復活できるわ!!」
聞き慣れた威勢のいい声が突然聞こえた。
さっきまでうずくまっていた陰鬱な姿は何処へ消えたか、いつもの見慣れた自信にあふれたフレアがそこに居た。

床に散らばった灰を室内用のほうきとちりとりでかき集め、手頃な入れ物がなかったので漬物用の小さな壺に入れた。
室内の埃やゴミが多少…どころか結構入ったかも知れないが、見なかったことにしよう。

「多分、あの影は魔物ね。あの洞窟は封印の場所だったのよ」
修行場の食堂で、三人が会議を開いている。
テーブルの真ん中には、お師匠様のなれの果てをいれた壺。
「お師匠様はそいつにやられて…」
フレアの言葉で、師範代があの影に襲われているところを想像してマーヤとエスティアはぞくっと身を震わせた。
「ちょっと遠いけど、ここから東に蘇生してくれる寺院があるはずなのよ。そこにいけば、お師匠様は生き返るわ」
わぁっと歓声を上げる二人。
フレアの話は続く。
「でも…あの魔物もほっとけないわね。うちらが解き放ったものだし…」
お札に火を付けた張本人のマーヤが、ばつが悪そうにうつむいた。
「二手に分かれる?」
エスティアがコーヒーをすすりながらフレアの方を向いた。
「そうなると誰が寺院へ?」
「そりゃねぇ…」
フレアがにんまりとしながらマーヤの方を向いた。
「当然お札を燃やした張本人に決まってるじゃない♪」
さらりととんでもない指名を受けたマーヤは、手にしていたマグカップを思わず取り落としそうになった。
「私とエスティアは魔物を捜し出して見張っておくから」
見張っているだけ…というのがポイントらしい。
「さーて、それじゃ支度しなきゃね」
トントン拍子に決まった話し合いにぐうの音も出ないマーヤを、二人はずるずると奥に引きずっていった。
保存用食料や水筒等、旅支度がどんどん進んでいく。
数年を修行場で過ごした三人には、今の外の世界の様子というのは余り分からない。
でも、安全な旅など無いと言うことくらいは分かる。
装備はきちんと調えなければ。
武器庫には、昔の修行者が使っていたのか古びた鎧や盾、剣などが揃っていた。
鎧は、一番軽いレザーアーマーでも少女達には重すぎた。
これでは一日着けているだけでへばってしまう。
盾も、邪魔になるだけだろうから要らない。
さて、武器は…。
魔導師は基本的に剣は持てない。
奥の方に、数本のロッドが眠っていた。
これは魔導師の象徴であり、魔法力を高める効果もある。
一人前になってからと師範代には今まで持つことは許されなかったのだが、今は事態が変わった。
ここで、三人の好みが良く分かる。
マーヤは地味な、赤い宝石が先端に付いただけのシンプルな杖。
フレアも、自分の瞳と同じ色のやや大きめの宝石が付いた、これまた余り飾り気の無いもの。
エスティアは…何でこんな物があったのか、きらびやかな大小の宝玉と、金銀で飾られたハデハデなロッドを選び出した。
「相変わらず良い趣味してるわね…」
呆れたようなマーヤの声も、光り物を手にしたエスティアの耳には届かない。
「きゃー。綺麗綺麗♪」
と、杖を抱きしめんばかりだ。

旅装束にもそれぞれの個性が出てくる。
それぞれ、旅に備えた服に着替えた。
フレアはいつの間に買っていたのか、真っ赤なマフラーをたなびかせていた。
エスティアは、せめてものお洒落か、いつも無造作に後ろで束ねるだけだった長い髪を、ポニーテールにしていた。
マーヤはそんなに目立った変化はない。
荷物を入れたリュックを背負い、三人は修行場の前で最後の挨拶をした。
旅立ち
「復活次第後を追うからね!」
そういうマーヤのリュックには、師範代の灰を入れた壺が大切にしまわれている。
「はいはい。こちらも、ガンバって探すから」
三人は最後に固く握手をして、二手に分かれて歩き出した。

修行場から離れるのはほぼ一年ぶりだろうか。
マーヤは東へ。
フレアとエスティアは北へ、それぞれの目的に向かって。