「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
絶望に染まって泣き叫んだ時、

「いい加減にしてくれない?」

場違いなほど落ち着いた声が聞こえた。
その途端、すっと私の腕を引っ張っていた力が抜けた。
絶望より生きる意志が優先し、無我夢中で窓枠にしがみついた。
下半身はまだ教室の中にあったので、反動で教室の床に尻餅をついた。
目の前にいる白河あゆみは、私を見ていない。
私の後ろを、忌々しそうに凝視している。

視線の先に……見覚えのある女子生徒が居た。
さっき、私たちに忠告しに来た少女。
「誰よ、あんた」
白河あゆみが、無粋な闖入者を、視線で焼き殺さんばかりに睨み付けた。
相手は、先程と同じく全く動じない。
「あなた、この前自殺した女生徒の姿をしてるけど、実際は只の雑霊ね」
女生徒が、バカにしたような口調で言い放った。

この、目の前の幽霊は、白河あゆみじゃない…?

でも、今はそんなことはどうでもいい。
ここから、逃げなきゃ。
でも、体は動かなかった。
恐怖が、全身を見えないロープで縛っている。

「本物のあの生徒は、失恋で自殺したんだから、今頃は、振られた相手の所にとり憑きにいってる筈だもの」
「そういうお前こそ、生者ではないくせに、邪魔をする気か?」
白河あゆみの姿をしたそいつは、きりきりと歯を噛み鳴らした。
その形相を見ただけでも、赤子ならショック死しそうだ。
相変わらす、相手の女生徒は動じない。
でも…今、そいつは言った。

お前も生者じゃない

この生徒も…?!

思わず、女生徒の足を見る。
ある。
私と同じ赤い学年カラー入りの上履き…同級生?
だけど、その足下には、影がなかった。

「生徒でもないあんたに、これ以上学校を荒らして欲しくないのよ」
ずいっと女生徒が前に足を踏み出した。
それに気圧されるように、そいつもじりっと後退した。
が、体勢を立て直して、叫んだ。
「生意気な!お前も、取り込んでやるわ!!」
叫びと同時に、そいつの体が膨張した。
そして、ばっとはじけて、膜状になり、一気に女生徒を押し包もうと襲いかかってきた。
白河あゆみじゃない。
これが、こいつの正体だ。実体を持たない、雑霊の固まり。
鼓膜をつんざくような悲鳴が聞こえた。
誰の?
私のだ。
もう、この数分の間に、何回悲鳴を上げたのか。
自分でも分からず、絶叫していた。
だが、誰も聞いていない。

「心霊研究部員の私が…」
女生徒が、なにか呟いている。
表情は、変わらない。
相変わらず、小馬鹿にしたような余裕の表情だ。
「こんなもの怖がるわけないでしょっ!」
女生徒の声と同時に、その体も光った気がした。
襲いかかったそいつは、返り討ちを食らって断末魔の悲鳴を上げながらかき消えた。
返り討ちと言っても…何をしたのかは分からない。
女生徒の眼光を浴びただけで、そいつは消えてしまった。

「学校にくくられてる者に、学校の中で勝てる訳無いのに…」
冷たい目。
ぞっとするようなその視線が、今度は私に向けられた。
「ひっ…」
私は、相変わらず、窓際の机の傍らで腰を抜かしたまま震えていた。
これは、夢?
悪夢なら、早く、醒めて!
私の正気が消える前に……!!
女生徒は、しばらく私を見つめていた。
哀れな獲物を見る目。
が、違った。
ふっと、哀しげな表情を見せたのだ。
先程のような、見下す目ではない。
哀しく、優しい視線。
そして、一言、ぽつり。

「だから、忠告したでしょ、」

ふっと、その声に聞き覚えのある気がした。

由美

夢の中、暗闇から、私の名前を呼んでいた。
昔、小さな頃、聞き慣れていた呼びかけ。
黒インクで汚してしまった、姉の写真。
yuminaki
セーラー服。長い髪。
子供の頃、姉の愛用してた、白いヘアバンドが欲しくて…。

「お姉ちゃん…?」

気付いたとき、女生徒の姿は消えていて、真っ暗な教室の中に、私だけが座り込んでいた。

「いいの?」
「うん」
北棟の一角の部屋から、声がする。
「久しぶりに会ったろうに」
2つの机が並び、壁の戸棚には、心霊写真のネガやら、投稿雑誌などが押し込まれている部屋。
心霊研究部の部室だ。
いや、もはやこの部屋は現在の校舎には存在しない。
この部屋の外には、『倉庫』と書かれた張り紙が貼ってある。
昼間は、確かにこの空間は倉庫だ。
かつて、北水絵梨と斉藤美加というたった二人の部員しか居なかった、心霊研究部の部室は、部員が消えて廃部になった後、倉庫として使われてしまっている。
だが、今、この時間は…二人が学校生活で、教室の次に長く過ごした空間として姿を変えているのだ。
そして、部員の二人は、当然の様にそこでおしゃべりをしている。
美加の言葉に、絵梨は両手を広げた。
「いーのよ、私は、行方不明のままで…」
言いながら、遠い目をした。
「しっかし、あの妹が、もう私と同い年になったなんてねぇ…」
「もう、時間の感覚なんてとっくに無いわよ」
美加が、苦笑いをした。

私たちが死んでから、もうどれくらいの年月が経ったのか…。
毎年、桜の季節に入学してくる新入生や、同じく桜と共に卒業して去っていく卒業生を横目に、二人は変わらぬ刻を過ごしていた。
かつての同級生は、もうとっくに社会人になり、結婚生活を送っているだろう。
見知っていた教師も、転勤や定年退職で、学校を去っていった。
もう、ここに私たちの存在を知る人は居ない…。

「そいえば、あの、白河あゆみって生徒、どうしてるか知ってる?」
「ううん?」
美加が、ゴシップ好きのおばさまのような口調で話し出した。

彼女が惚れていたのは、同じ文芸部の後輩、しかも一年生だったらしい。
だけど、そいつがけっこう悪いヤツで、色々貢がせたそうだ。
その中には、 高級な腕時計もあった。
今、白河あゆみは、その中にいる。
その男子生徒が付けている、時計に取り憑いている。
そして、じわじわとそいつの精気を吸い取っている。
その生徒は、今は心神衰弱で自宅のベットから起きあがれない。原因は不明。
だが、腕時計ははずさない。はずせないのだ。
あと数日もすれば、白河あゆみは目的を遂げるだろう。
男子生徒は、死ぬ瞬間まで、なぜ自分が死ぬのか分からない。

「恋する女は強いわねぇ」
絵梨が、妙に感心した表情で頷いた。

さて、そろそろ夜が明ける。
死者の時間は終わり、生者達が学校の世界を支配する時間がやってくるのだ。
私達が、かつて居た時間が…。