乾いた風が、ベギニア砂漠を渡っていく。
かんかんと照らす陽は砂の表面と砂漠を渡る旅人とをじりじりと焦がしていく。
黄色い砂と岩だらけの世界を、小さな人影がとぼとぼと歩いていた。sabaku
防砂と日射避けの為に頭からまとっているローブから覗く顔は、まだ幼さを残した少女だ。
砂と埃にまみれて薄汚れているが、二つの青い瞳だけは澄んだまま前を見つめていた。
トキアス山修行場から仲間と別れ、旅に出た魔導師見習いマーヤだ。
魔物に灰にされたお師匠様を復活させるため、砂漠の果てにある寺院を目指して孤独な一人旅を続けている。
今まで生活していたトキアス修行場と、このベギニア砂漠とではまさに天国と地獄だった。
容赦ない日差しは確実に体力を奪い、道無き道を頼る物も無しに進むしかない。
今まで砂漠を歩いたことすらなかったマーヤには、この旅は過酷だ。
一応砂漠にはいる前に立ち寄った村でそれなりの装備と心構えを教えてはもらったものの、ここまでとは正直思っていなかった。
砂は足を埋め、一歩進むのに、通常の倍以上は体力を使う。
何処を向いても同じ風景は、気力を奪っていく。
水もみるみる減って行く…。

「疲れたよぉ…」
もう何十何百、同じ事を呟いたか。
リュックのサイドポケットからのろのろと水筒を取り出し、グビッとあおる。
高い気温のお陰で中身はまるでお湯のようだ。
軽く喉を潤してから、今度は干し肉とパンを取り出してかじり出す。
その間も、ゆっくりとだが足を動かして進んでいく。
歩ける内に、少しでも進んでおかなければ。

何か乗り物があればなぁ。

マーヤは恨めしげに足下の砂を見た。
駱駝を買うという手もあったが、手持ちの路銀は少ない。
貧乏はイヤだね…。

3時間ほど歩きづめで、マーヤはちょっと岩影に座り込んで休憩を取ることにした。
「あり?」
で、取り出したパンは、固く干からびていた。
うーん、砂漠に入る前はふっくらと柔らかだったのに、今は煎餅のよう。
噛んでみると、がちっと石のような歯ごたえ。
「ふん!負けてたまるかぁ!」
そこは自慢の白い歯でばりっと豪快に噛み砕く。
続いて、水筒の水をぐっと飲み込んだ。
「こうしておけば、お腹の中でふやけるもんね」
腹の中に入ってしまえば一緒と言いたいらしい。
強がってはいるものの、あまり嬉しそうではない。
当たり前か。
念のため、他の食料も調べてみた。
うーん、やはり干からびている。
干し肉なんか、只でさえ固いのに今では釘さえ打てそうだ。
改めて、マーヤは大きなため息を吐いた。

すこしばかり休んで、さぁ行こうと思ったら…何だか体が動かなかった。
強い倦怠感。
腰に根が生えたようだった。
今日は朝からずっと歩きづめだったので、ガクンと体力の限界が来たらしい。
でも、まだ陽は高い。
野営するには早すぎる。
「しょうがないなぁ…」
座り込んだまま右手を自分にかざし、魔法を掛けた。

「体力回復魔法!」

ポゥっと暖かい光がマーヤの全身を包む。
軽いヒーリングの魔法は、彼女に立ち上がる元気を与えた。
倦怠感が完全ではないにしろ軽くなった体を起こし、荷物を背負い直す。
「あとどの位なんだろう…」
目の前で煌々とした光を放つ太陽が歪んだ。

座り込みそうになるとヒーリングを掛けて騙し騙し進んでいったが、それもまた限界に達していた。
弱冠16才の少女に一人で砂漠を難なく超えろと言う方が無理な話だ。
魔法を使うのに必要なのは気力だ。
だが、それも砂漠が奪い尽くそうとしている。

はぁ。フレアみたいに水魔法が使えたらなぁ…。
もう、持ち水も残り少ない。
つい先日別れたばかりの同僚の顔が浮かんだ。
もう、何年も会ってない気がする。
やはり一人の旅は心細い。
彼女たちは、解放された魔物を追って北へ向かったのだ。

疲れ切ったマーヤの頭の中を、あるアイディアが閃いた。
「サウナで体を温めて、外に出ると涼しいよねぇ…」
汗をかいた後、外の空気に触れると汗が蒸発してひんやりするのは確かだ。
「てことは、火で体を熱したら涼しくなるのかなぁ…?」
いきなり何て事を考えてるんだ、この娘は。

「火炎魔法」

あ、やっちゃった…。
ぼわっと一瞬少女の全身が魔法の火で包まれた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
暑さのあまり、地面を転げ回る。
火はもう消えているが…バカ。
転げ回ったお陰で余計体力を使い、地面にへたりこんでしまった。
一瞬とはいえ焼かれた体がヒリヒリする。
おまけに、ますます暑くなってしまった。
あんまり暑すぎて、汗ももうほとんど出なくなってきた。
「え~ん、もうやだよぅ」
あーあ、とうとうべそをかきだしてしまった。
「あー!もぉ、こうなったらヤケだっ!!」
今度は逆ギレしたらしい。

「透明魔法!!」

マーヤが使える魔法の3種類目。
全身を透明にし、本来なら敵の目を欺くための防御魔法だ。
一瞬光ったマーヤの体は、ふぅっとその姿を消した。
敵どころか、自分以外誰もいないこんなところで使ってどうする。
「あれ?」
透明になったまま、彼女は頸を傾げた。
暑くないのだ。
お日様は相変わらずぎらぎらと、砂漠の全ての物を焼き尽くさんばかりに輝いているのに。
どうやら、透明になったお陰で日光すら通過してしまうらしい。
「これは使えるじゃん♪」
ぱんっと嬉しそうに両手を叩いた。
これで、昼間は暑さを気にせずに歩けるのだ。

夜になった。
砂漠は昼と夜とでは、気温の差が激しい。
昼は灼熱地獄でも、夜ともなれば霜すら降りる寒冷地獄へと変わるのだ。
寒さに震えつつ、マーヤはテントを張った。
小柄なマーヤですらちょっと窮屈に感じる程度だが、持ち運びにコンパクトな分贅沢は言ってられない。
中に入ってやれやれと一息ついたのもつかの間、あらたな災いがやってきた。
砂漠を渡る風がテントを襲ってくるのだ。
いや、風だけだったら、ピンと張ったロープと支柱がテントを頑丈に支えてくれている。
入り口から、砂が舞い込んでくるのだ。
しかも、半端じゃなく。
「げほっげほっ」
これじゃ、外に居るのと変わりない。
いや、入り口で凝縮されて吹き付けてくる分、外にいる方がマシかも知れない。
「こんなんじゃおちおち眠れないっつーの」
仕方なくテントを這い出て、傍らに穴を掘って眠ることにした。
火炎魔法で大穴を開けることも考えたが、流石に気力も限界なので、地道に手でせっせと掘ることに。
柔らかい砂は簡単に掘ることが出来る。
と、いきなりぽこっと空洞にぶち当たった。
「?」
のぞき込んでみると…
「わぁっ!」
中から大きな砂ネズミが飛び出してきた。
どうやら巣穴を荒らしてしまったらしい。
草食性の大人しい小動物だから害はないが、マーヤは思わず1メートルほど飛び退いてしまった。
で、砂ネズミはぱっと離れてちょっとこちらを見ると、後はどこかにてててっと走り去ってしまった。
「うーん、おうち取っちゃったかな…」
ちょっと罪悪感に浸りつつそれでも穴に潜り込み、上から毛布を掛けて、マーヤは眠りについた。
誰かが、夢の中で呼んでる気がした…。

「もうちょっと…あと5分~…」
いつもの如く寝起きの悪さを立証しつつ、それでも何とかマーヤは穴の中から這い出てきた。
が、その寝ぼけ眼がぱっと見開かれた。
「きれい~…」
目の前の砂漠が、昨日の日中とはまた異なる姿を見せていた。
砂が、まるで海の波のような情景を描いていた。
風紋だ。
砂漠を渡る風が砂に波をつけていく。
そうして出来上がる風紋は、砂漠が作り上げる一種の芸術だった。
どの位見とれていただろうか。
相変わらずの太陽の暑さにはっと我に返り、テントに入ろうとして…凍り付いた。
昨日のねぐらだった穴のすぐ脇に、長細い何かを引きずったような跡が残されていたのだ。
そう、まるで、太い蛇が這ったような…。
砂漠に入って何度目のことか、今度は疲労ではなく、恐怖のあまりマーヤは腰を抜かして座り込んでしまった。

砂漠の旅はまだまだ続く。
昨日と同じように、砂の海を歩き通した。

「お風呂入りたいなぁ…」
靴の中は砂が入って痛い痛い。
服は外も中もジャリジャリだ。
顔は陽に焼けて痛いし、自慢のロングヘアーもチリチリ。
うら若い年頃の娘が何やってるんだかねぇ…。

節約しいしい砂漠の旅を続けて2日目、とうとう水が無くなった。
「う…嘘…」
何度水筒を逆さに振っても、もう何も出てこない。
これから先、水無しでどうする?マーヤ。

「み…みず……」
ぶつぶつ呟きながら、マーヤはそれでも歩いた。
その足下をミミズがのたくっていたのは錯覚だっただろうか?
まぁ、その辺はお約束。
水が無くなってから、余計に乾きが強くなった気がする。
舌は喉の奥に貼り付いて、独り言を呟くのもおっくうだ。
「あ!!」
疲労でくすんでいたマーヤの両の目が見開かれた。
目の前に、青々とした樹と、清冽な水をたたえた泉が出現したのだ。
オアシス!
駆け寄ろうとしたマーヤの目の前で、それは出てきたのと同じスピードでかき消えてしまった。
「あ…」
これが、噂に聞く蜃気楼というヤツらしい。
砂漠で極限状態になった者が見るという幻だ。
「ふっ…わたしももう終わりかな…」
がくりと膝をついて自嘲気味に呟くマーヤの目の前に、砂を踏む複数の足音が聞こえた。
力無く音の方角に目をやると、今度は何処から来たのか、大きな鳥の群がこちらに歩いてくるのが見える。
あれは…南国に居るって言う、地上に住む鳥だっけ?
確か、ダチョウとか言ったか。
「うーん、何で今度はこんなものを見るようになったんだか。疲れ過ぎなのね…」
生活に疲れた主婦のような事を言いながら、目の前を悠々と歩く鳥の姿を見ていたが、何だかヘンだった。
「んー?」
目をごしごしと擦ってみる。
目の前の鳥の群は消えない。
それどころか、その内の一頭にばふっと砂をかけられた。
「ぶはっ」
口に入った砂を吐き出してから、改めて鳥の群を見てみる。
「…本物?!」

もはや長距離を歩ける自信はなかった。
こいつを利用しない手はない!
鳥の体格は、マーヤ一人くらいなら悠々と乗せられそうだし、太い二本の足は砂の上を難なく歩いている。
待ち望んでいた乗り物だ!

さて、こいつらをどうやって捕まえよう?
鳥は全部で10頭…いや、10羽くらいだ。

まず、オーソドックスに走って捕まえようとした。
気付いた鳥達は、タカタカと走って逃げ出してしまった。
足の速さはそれほど早くないが、それでも疲労困憊の今のマーヤよりは早い。
マーヤが諦めて止まると、鳥達も合わせたように、ゆっくりと歩き出す。
うーん、からかわれてる気がしないでもないが…。

次は、罠を張ってみる。
岩影に隠れつつ鳥達を先回りし、大急ぎで穴を掘ってその上に枯れ枝を乗せて砂で隠す。
その上を上手く通ってくれれば…。
結果。
奴らは歩幅が想像以上に大きかった。
穴の上をひょいひょいとまたいで行ってしまった。
気付いているわけでは無いのだろうが、ちょうど足が罠の上を通らない。
またも失敗。
しかし、疲れてると言ってる割には根性あるな、マーヤ…。

餌で釣ってみよう。
なけなしの食料の中からお馴染み煎餅のようになってしまったパンのかけらを取り出し、群からちょいと離れている奴を狙ってちらつかせてみる。
お、一羽が気付いた。
こちらに砂を蹴散らしながらやってくる。
成功か?!
「わっ!」
体当たりを食らって、小さなマーヤの体ははじき飛ばされた。
当のダチョウはパンをばりばりかじりながら、砂にまみれて呆然としているマーヤを後目に悠々と列に戻っていった。

「くぅっ…こうなったら!」
今回砂漠で活躍した魔法が、またも登場した。
「透明魔法!」
本人はもとより、荷物まで透明になると、
「てぃっ!」
一番後ろを歩いているダチョウに飛び乗った。
乗られたダチョウは、いきなりの重圧感に背中に頸を向けたが、姿がないのとマーヤと荷物程度の重量感はさして気にならないのか、そのまま歩き出した。
「ふー、やっと成功ね…」
初めて乗った鳥の背中で、マーヤは小さく安堵のため息をもらした。
 
 
「うぷ」
何度目のことか、マーヤは口を手で押さえた。
嘔吐感が止めどなく襲ってくるのを、必死で耐える。
ダチョウの背に乗って数十分。
やっと待望の乗り物を手に入れた喜びもつかの間、今は別の深刻な問題に襲われていた。
乗り物酔い。

上下に休む間もなく揺れる鳥の背中は、半端じゃなく酔うのだ。
ダチョウが歩く度に、脳味噌がダイブし、内臓が踊る。
こみ上げてくる胃液を何度飲み込んだことか。おえ。

くそぅ、これじゃ、まだ歩いた方がマシかも…

暑さのせいとはとはまた違う冷や汗にまみれながら前方を見てみると、その顔がぱっと希望に輝いた。
今度は…今度こそは間違いない!
先程見た蜃気楼の通りの光景が出現していた。
だが、今度は先頭を行った鳥が泉にくちばしを付けて水を飲んでいる。
本物のオアシスにたどり着いたのだ。

マーヤが身を預けている鳥も、のたのたと澄んだ水をたたえた泉に近寄っていく。
そこでマーヤはまたも問題を突きつけられる事になってしまった。
うー、水を飲みたいし水筒に補給したいけど、今降りたら、こいつにもう乗れなさそうだし…。そいつは痛いぞ。
そんな思いも知らず、ダチョウはくいっと長い頸を曲げて水を飲みだした。
こくこくと美味そうに飲んでいる。
「あー、あー。くそぅ、私を差し置いて、美味しそうに飲んでるぅぅ」
逡巡の末、マーヤは背から降りずに、必死になって泉に空の水筒を近づける事にした。
鳥達は夢中になって水を飲んでいて、何度かずり落ちそうになっているマーヤの苦労に気づきもしない。
必死の作業は続いたものの、水筒に汲むことが出来た水は、約半分ほど。
不自然な姿勢では無理がある。
それでも、もう少しくらい…と思ったとき、鳥達が一斉にまたも移動を開始した。
水を得て元気になったせいなのか、先程よりも元気良く足早に。
お陰で背中の揺れも加速し、マーヤはまたも口を押さえて必死に背中にしがみつくハメになった。

小一時間ほど揺られただろうか。
すっかりグロッキーになったマーヤは、それでも辺りに注意を払うことを忘れず、進路方向に何やら人影が居るのを見つけた。
正確には倒れて砂に埋もれ掛けている人影を。
鳥の群はそんなことはお構いなしにその傍らをドドドと駆け抜けていく。

ここでまたも選択を迫られることになった。
このままこの鳥の上で旅を続けていくか、今まさに横を通り過ぎようとしている行き倒れの人間を助けるか。
「ど、どうしよう」
ここで降りたら、ようやく捕まえたこの鳥はどこかへ行ってしまう。
水くみの時も、あんなに苦労してまで確保した乗り物なのに。
砂漠の旅はあとどれくらい続くのかも分からない。
だが…目の前の人間を見捨てる?

「うー」
頭を抱えるほど迷った末、結局マーヤは後者を選んだ。
透明魔法を解き、荷物を抱えて飛び降りる。
「ぶっ」
上手く着地出来ず、ごろごろと砂の上を転がった。
勢いを落とさず走り去っていく鳥達の後ろ姿を空しく見つめながら、うつぶせに倒れている人影に近付く。
半分砂に埋もれた体はぴくりともしない。
「あの~、もしもし?」
声を掛けても返答無し。
だが、よく見ると背中はかすかに上下している。呼吸している。
生きてはいるらしい。
「よいしょっ」
ごろんと体を仰向けに転がすと、半死半生の相を浮かべた中年の男の顔が現れた。
唇はカサカサに乾いて、表情は苦しみに歪んでいる。
「おじさん、大丈夫?生きてますか~?」
頬をぺちぺち叩いても、反応無し。
ただ、干からびた唇だけがかすかに動いている。
「…を…」
何かをしきりに呟いているようだが、か細すぎて聞き取ることが出来ない。
「しょうがないなぁ」
先程水を補給したばかりの水筒を取り出し、少しばかり男の口に垂らしてやる。
くそぅ、わたしもまだ飲んでないのにぃ。
ごくんと男は水を飲み込んだ。
意識がないくせに、むせる様子もない。
それでも、他に何の反応も見せなかった。
「おじさーん、起きてよ~!」
呼び掛けても全然反応無し。
もう少し水を与えてみるか?

うぅ、折角手に入れたなけなしの水なのにぃ…。
でも、まだ生きている人間を見捨てていくの?ほらほら。

マーヤの心の中で、天使と悪魔の声が交差した。

「あとちょっとだけあげてみて、駄目だったら仕方ないね」
妥協点が見つかったらしい。
マーヤの天使も結構したたかな心の持ち主のようだ。
また男の口に生ぬるい水を送り込む。
どうしても手加減してしまうのは貧乏根性からか。

またも男はごくんと飲み込んだ。
さあどうか?
今度は反応が違った。
ぴくりと男の瞼が震えたのだ。
「おじさん?分かる?」
声を掛けて肩を揺すると、ゆっくりと男が目を開けた。
ぼんやりと、マーヤの方を見つめる。
まだ意識がもうろうとしているようだが、とにかく気が付いたらしい。
残念(?)。
男の視線がマーヤに定まると、
「水を…くれぇ」
と手を伸ばしてきた。
「今あげたでしょ」
ぴしゃりとはねつけたが、男はめげない。
「もっとくれぇ~」
まるで砂漠から這い出てきたゾンビのような形相でマーヤに迫ってきた。
あまりの気迫に、思わずマーヤは退いた。
「だー!分かったからあまり近寄らないでぇぇ!!」

マーヤがあんなに苦労して得た水を、男はうまそうに飲んだ。
その横で、マーヤが悲鳴をあげる。
「ちょっとぉぉっ、全部飲まないでよぉ!!」
「ふぅ、やれやれ」
男はやっと人心地がついたらしい。
返ってきた水筒は大分軽くなっていた。
こ…このくそおやじ…。
ちろりとマーヤの心に殺意の火が灯ったのも知らず、男は満足げに笑っている。
「ところで…助けて下さい」
「は?」
出し抜けに男にそう頭を下げられて、思わずマーヤの目は点になった。
「今、水をあげたばかりでしょうが!」
思わず甲高い声を上げたマーヤに、男はすがりつかんばかりにして訴えた。
「違う。そうではなくて、私の娘を…エリナが…ああ…」
いきなり崩れた、中年男の涙でくしゃくしゃになった顔を、マーヤは呆気にとられて見つめるしか無かった。