「いやぁぁ!!」

蒼白な顔で逃げまどう恵理子とは対照的に、女生徒は楽しそうにくすくす笑っていた。
「どうしたの?御祓いできるんでしょ?」
恵理子の足に、体に、腕に、顔に、蒼白く長い腕はからみつき、爪を立て、床の中に引きずり込もうとする。
タイル張りだった床は、今や無数の腕の海になっていた。

「それはあなたが今まで呼び集めた雑霊達よ。言霊は霊を呼ぶ。例え、この学校に関係ない者達でも」
悲鳴を上げて手を振り払おうと、後から後から腕は絡みつく。
トイレのドアはもうそこなのに、出口が手の届きそうな場所にあるのに。

「お願い、止めて!何なのこれは!!」
恐怖のあまり泣き出した恵理子に、相手は相変わらず笑顔で応えた。
「人の話を聞かない子ねぇ」
その間にも、死者の手は恵理子の頭を押さえ込もうとする。
「ま、学校に関係ない奴らはこの辺で退場してもらいましょうか」
女生徒が、ぱちんと指を鳴らした。
その途端。

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

死者の悲鳴が聞こえた。
同時に床の手も吹き飛ばされるように消え、元通りのトイレの床に、恵理子は座り込んでいた。
「あ…あぁぁ……」
肩を震わせて泣きじゃくる恵理子の前に、女生徒が立ったのが気配で分かった。
恐怖のために、女生徒の顔は見ることなんて出来ない。
うつむいた視界には、女生徒の足が見えるだけだ。
白いスクールソックスと全然汚れていない上履きが。そして…何らかの違和感。

「学校での怪談話は付き物だから、その為にヘンな奴らが来るのは仕方ないし、そのくらいは許してあげる。でもね…」
楽しそうだった口調が微妙に変化した。

「あなたは、いつ私を見たの?」

恵理子の嗚咽が止まった。
思わず、顔を上げた。
「駄目よ、呼んでないのに嘘ついちゃ」
生まれて初めて、冷たい微笑みと言うものを見た。
一目見るだけで、背骨に氷を詰め込まれたと錯覚するほどの。

「私の姿は、私を呼んだ相手にだけ見ることができるのよ。そして、見た人はどうなっちゃうと思う?」

ああ、そうよ。さっき、女生徒の足下を見たとき感じた違和感。

影がなかった――

「ねえねえ、私の好きな遊びって何だか知ってる?」
女生徒が腰を落として、恵理子の目をのぞき込んだ。
さらりと目の前で黒髪が揺れる。

知ってる。
前に、オカルト雑誌かTVで見た事がある。
3番目のトイレのドアを叩いて花子さんの返事をもらった後に、「何して遊ぶ?」と問うと、返ってくる答え。

白くて綺麗な指が恵理子の首に伸びてきた。

「首締め遊びよ」

ぎりっ。
呼吸が止まる。
息が出来ない。
振り払うことも許されない力で、じわじわと首を絞められる。
怯え。
全身の震えが止まらない。
死ぬ?
殺される…

すっと、首に掛かっていた圧迫感が唐突に消えた。
途端に窒息寸前だった恵理子の気管は、空気を求めてせき込んだ。
げほっげほっという苦悶の声がトイレの中に響く。
咳き込みすぎて、苦しくて涙が止まらない。
そんな恵理子の姿を、新しいおもちゃを与えられたような表情で、彼女は見つめた。
「でもね、それじゃつまらないわね。折角だもの」
涙でぼやける視界の中、いたずらっ子のように笑う少女が見えた。

「あなた、よく言ってたわよね。廊下や階段に、人の姿が見えるって」

ぞくりhitomi
恵理子の全身の肌が粟立った。
怯えとはまた違う感覚の震え。
圧倒的な恐怖。

「『霊感』とやらがある人には、「そこに立っている」あなたの姿が見えるでしょうね」

「七不思議に触れるのもやばいけど、花子さんを怒らすのも怖いよねぇ」
しみじみと美加が呟いた。
相変わらず、斉藤美加と北見絵梨は心霊研究部の部室に居た。
別にここの部室に縛られているわけではないのだが、夜になるとどうしてもここに来てしまう。
昼間は倉庫になっているので来る価値もないから、校舎内をぶらぶらとしているが。
そして、北棟のトイレでの出来事を見ていた。
もっとも、これは偶然ではなく、事前に花子さんから呼ばれたのだ。
くすくす笑いながら。そして、その無邪気な笑顔の裏には隠しきれない邪悪な喜び。

「新しいおもちゃが手に入るの。あなた達も見に来ない?」と。

可愛い顔してても、花子さんはやはり妖怪。悪趣味だ。

中田恵理子という女生徒、学校に関係ない雑霊を集めただけならまだしも、「花子さん」に触れたばかりにその姿を消した。
いや、正確には居る。
北棟3Fトイレの前に。
これからこの学校が取り壊されるか無くなるかしない限り、永劫に。
そして、その姿は、生徒には見ることは出来ない。
花子さんの気の向いたときは、「首締め遊び」に付き合わされることだろう。
遊ぶことが、楽しいことが、何より彼女は好きだから。

「あの中田っていう生徒の前に花子さんに捕まってた娘は、何年くらい首しめられてたっけ?」
美加の問いに、
「10年くらいじゃなかったかな」
絵梨が無関心に答えた。
もはや生者でない二人に時間の感覚は無く、中田恵理子の代わりに解放された生徒は、どうなったのかは知らない。
美加も絵梨も、別に仲良く話してたわけではなかったし。

「花子さんに触れずに、霊感あるって事だけにしておけば、この学校卒業できたのにねぇ」
あまり同情してない口調で絵梨が言った。

自ら不幸の事態を招いた者に、同情はしない。
彼女達が自らを哀れまないように。

「そう言えば、女子トイレは『花子さん』なんでしょう。男子トイレには誰がいるのかしら」
今更、気付いたような絵梨の呟きに、美加も首を傾げた。

「んー…、男子トイレって女子には縁のないところだもんね。新入りの男子生徒が入ってきたら、聞いてみる?」