ずっと気になっていた。
初めて会った時感じた、何となく哀しげな雰囲気が忘れられなくて。
何もかもイヤだった。
学校なんて、来るだけ無駄だよ。
別に、いじめに遭ってるとか、そういう事はない。
ただ、毎日平凡な授業の繰り返しに飽き飽きしてしまっただけ。
勉強するなら、家で参考書相手にしていればいい。
学校には親しい友人も居ないし、部活動なんてかったるくてやってられない。
家で、のんびり本を読んだり、ゲームしてる方が余程有意義な時間の使い方。
そうは思いつつも、きちんと無遅刻無欠席なところがちょっと僕の情けないところな気もするけど…。
もっとも、受験を控えた高校3年という身分じゃ家でもゆっくりなんて親がさせてくれないけどさ。
僕の顔を見る度に、勉強としか口にしない親なんて。
兄貴が良い大学に入ったからって、僕まで期待しないで欲しいよな。
だから、家にいるのもイヤだ。
僕は、何処にいけばいいんだろう…。
僕の居場所は…。
彼女を初めて見たのは、12月にしては日差しの暖かい日だった。
昼休み、誰もいないところに行きたくて、屋上に行ってみた。
教室に居ても一緒に過ごす奴はいないし、学食は今日だけ日替わり定食が割引だとかで大勢の生徒が占めていて落ち着けやしない。
この季節に寒い屋上なんかに居る奴は居ないだろうと思って、読みかけだった文庫本を片手に、重い鉄の扉を開けた。
思った通り、そこには誰もいない。
風は冷たいが、日差しがさんさんとさしているから、そんなに寒さは感じなかった。
タテマエ上、屋上は立ち入り禁止という事になっているので、ベンチなんて気の利いた物は無い。
タイル張りの床にそのまま腰を下ろそうとして…ふっと視界の隅に何か不自然な物が映った。
「え…」
先客が居たようだ。それも、ただ者じゃなく。
何と、そいつは屋上の柵の上に腰掛けて、眼下に広がる景色を見ている。
陽光が射す青空の下、風景に見入る女生徒。
ぱっと見には絵になる光景だが、ちょっとバランスを崩して柵から外側に転落すれば…
校舎は4階建て。落ちたら只じゃすまない。
転落防止用の鉄作は人の背丈ほどもあるので、気軽に腰掛けられる高さではない。
こいつは、よじ登ってまでこんな所に座りたかったのか?
「おっ、おい!!」
思わず大声を出してしまった。
その声の大きさに驚いたように、相手が振り向いた。
「なに?」
その女生徒は、相変わらず柵の上に腰掛けたままこちらを見下ろしている。
肩で切りそろえられた黒髪が、まぶしい日差しに光りながら風に揺れていた。
「いくら何でもそこは危ないだろ?」
至極常識的な僕の言葉に、何故か彼女はきょとんとしている。
「危ない…?」
その言い方に思わず、僕の方がとんちんかんな言い方をしているのかと心配になってしまった。
「落ちたら、さすがに危ないと思わないか?」
「ああ…。そう、そうね…」
何故だか、相手はふっと顔を曇らせた。
そして、身軽に柵から軽々と飛び降りて僕の目の前に降り立った。
ふわりと舞い降りる感じで、まるで小鳥みたいだ。
見たこと無い生徒だった。
まぁ、全校生徒の顔なんて覚えてるわけじゃないからな。
だけど、
「あれ?3年?」
相手の上履きの色も、僕と同じ赤い学年カラーだった。
「へぇ、あなた、3年生なの?」
女生徒が、嬉しそうに笑った。
「こんな寒い日に、何で屋上なんて来たの?」
「それは僕の台詞なんだけどな・・・」
「私は、ここなら誰もいないと思って」
自分もそうだとは、何となく言いにくくて、話題を変えた。
「あんなとこに腰掛けて、自殺でもする気だったのかよ」
ただ景色を眺める席にしては、柵の上ってのは自殺行為だよな。
「自殺…?」
またしても、きょとんとした感じで僕を見つめ返す。
と、次の瞬間、ゲラゲラと笑い出した。
まるで、僕が下手な冗談でも言ったかの様な、ちょっと毒のある笑い方だった。
「なっ、何だよ!人が心配してやりゃ…」
何で爆笑されるのか理解できず憮然とした僕の態度に、やっと相手が笑うのを止めた。
「ごめんごめん」
言いながらも、ちょっとまだ唇の端が皮肉な感じで緩んでいる。
そして、口の中で何かもごもごと言っていたが、聞き取ることは出来なかった。
「私はもう…でるもの」
女生徒はぱっと顔を上げると、
「私は斉藤美加。よくここにいるわ。あなたは?」
「僕は川岸…」
そこまで言ったとき、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「じゃ、川岸君。またねっ」
そのまま、斉藤と名乗った女生徒は、僕の横をすり抜けて、校舎の入り口に入っていった。
「何だよ、あいつは…」
僕は何となく釈然としない気持ちのまま、結局開くことの無かった文庫本を抱えて、校舎に戻っていった。
午後の授業は、全然身が入らなかった。
昼休みに会った女生徒の事が頭に浮かんでは消えた。
不思議な感じの娘だった。
屋上で景色を眺めているときの表情。
あれは・・・景色を眺めてるんじゃなかった。
もっと遠い、どこか遠いところを見ている感じの視線だった。
寂しげで、哀しげな、あの表情は…。
翌日の昼休み。何となくまた屋上に行ってみた。
…誰もいなかった。