また、あの人が屋上に現れた。
最近昼休みと放課後によく顔を出している。
そして屋上をぐるりと見回しては小さくため息を吐き、また校舎に戻っていく。
まるで、誰かを捜しに来ているみたいに。
もしかして、あたしに会いたいのかな?
試しに、私はもう一度彼に姿を見せてやることにした。
夕焼けの綺麗な放課後、屋上で空を眺めていると、彼がやってきた。
諦め気味だった瞳が見る間にぱっと輝いて、こちらの方が戸惑ったくらいだ。
この2年あまり、彼がこんな表情をしたのを私は初めて見た。
やはり、彼のお目当ては私だったらしい。
何となく、嬉しかった。
「…よぉ」
聞き取りにくい小さな声で、彼が声を掛けてきた。
「こんにちは」
私も挨拶を返す。
ふぅん、彼から人に声を掛けるなんて、まして挨拶するなんて、初めて見た気がする。
「今日は柵に座ってないんだな」
どうやら、以前見かけた光景が余程気になっていたらしい。
あの時の彼は血相変えて私に注意していたっけ。
私がいつかここから飛び降りて自殺でもすると思ったのだろうか?
それで心配になっていつも見に来ていたのかな?
そう考えると、私はおかしくて思わず笑ってしまった。
あの日は偶然姿を見られてしまったが。
彼は私の事を知らないが、私は彼のことを知っていた。
実は、入学した当初から、ちょくちょく目を掛けてはいたんだよね。
だって……
「何だよ」
私の笑いを見て、彼がちょっと気分を害したらしい。
むっとこちらを睨んでいる。
「ううん、別に」
笑いながらなだめても、効果はなかったようだ。当たり前か。
「最近、よく屋上に来てるみたいだけど、何かここに用でもあるの?」
私の言葉に、何故か彼はひどく動揺した。
「え…?う、いや…。でも、何で君が知ってるんだ?」
「だって、私はよくここにいるもの」
「でも、最近は全然見かけなかったけど?」
「でも、いたもん」
応えた後、口の中で呟きを付け足した。
あなたには見えなかっただけだよ。私の姿が…。
私が姿を見せてから、彼は毎日のように屋上に来るようになった。
ただ単に、一人になりたいからよく来るのだと、たまに姿を見せる私に会ったとき反発してみせるが、私に会いに来てくれているらしい。
それは、ちょっとした驚きだった。
彼は一人で居ることを好み、クラスでも自ら孤立するような人に見えてたから。
それが何で、偶然屋上で会うだけの存在の私に気を向けるようになったのか。
たまに私が姿を見せるときでも、二言三言しか会話をしないのにね。
いや、一度、一緒に帰らないかと誘われたこともある。
以前のように、何の関心もわかない目で学校に居ることはない。
学校になにがしか関心は抱き始めたらしい。
私の存在は、彼の中で受け入れられたのだろうか。
でも、私は、その誘いを冗談でかわすしかなかった。
私はどこに帰ればいい?
ここを離れることは……。
彼に質問してみたかった。
なぜ、私にそんなに気をかけるのか。
でも、逆に彼から質問される事が怖い。
「きみは、何者なんだ?」
そう問われたら、私はどう答えればいい?
私は、この学校の生徒だ、としか言えない。
たとえ、もうとうの昔に…消えた存在だとしても。
「なぁに、恋でもしてるわけ?」
夜の校舎を歩きながら、私と同じ存在の北水絵梨がニヤニヤしながらからんできた。
「なによ、それ」
ぶっきらぼうな私の声にも、彼女は怯まない。
「最近、お昼休みになると逢い引きしてるじゃない。何て言ったけな、あの男の子」
「………」
逢い引きなんていつの時代の生まれだ、あんたは。
言おうとして、空しくなったので止めた。
「彼、名簿であんたを探しているみたいよ。クラスも教えてくれないからね」
絵梨の言葉に、ちょっと私の足は止まってしまった。
「あ、そ」
名簿か…。
私の名前が載っている名簿なんて、図書室にでも行かなきゃ無いわよ。
そろそろ…消えなきゃね。
廊下の窓から柔らかな月光が差し込んで、中庭の木々の影を床に映し出している。
その床を歩いている私達の足下に、影が映ることはない。
「私達…いつまでここにいるんだろうね」
絵梨が、ぽつりと呟いた。
誰にも答えられない問い。
誰にも叶えられない願い。
私達の時は、もう動き出さない。
生きて、時が動いている人とは、同じ時間を過ごすことは出来はしない…。
もぞり
視界の隅で何かが動いた。
夜の校舎には、様々なものが蠢いている。
それは命あるものとは限らない。
生徒の学校生活における嫉妬や憎悪、恋慕などの強い感情が至る所に渦巻いているし、登校途中に事故死した生徒の幽霊が今も巣くっていたりする。
変わったトコになると、この高校の受験に失敗して自殺したやつが羨望の余りこの校舎に棲みついてたりっていう例もあったりする。
勿論、生徒ばかりが居るわけではない。
学校とは何の関わりもない浮遊霊だってうじゃうじゃと居る。
様々な感情が鬱積している『学校』という世界は、誠に居心地が良いらしい。
私だって、学校は好きだ。
だけど、まさか永久に縛られることになるとは思わなかった。
生きていたときとは違う感覚。
とりとめのない浮遊感が、今のあたしの状態をイヤでも分からせてくれる。
何となくひとりでいたくて、絵梨と別れた私は廊下を一人で歩いてた。
ふっと、前の曲がり角から明るい光の輪が浮かび上がる。
続いてぺたぺたという足音。
眠たげな顔をした用務員が見回りに来たんだ。
懐中電灯の光が、私の方に向けられた。
「?」
年老いた老人の顔に、一瞬怪訝な表情が浮かんだ。
「誰か居たような気がしたが…気のせいだったか」
そのまま彼はあたしを突き抜けて、廊下を歩み去っていった。
叫びたかった。
あたしはここにいる!
喉元まで出かかって、やめた。
今の私の姿は、私が意識しない限り普通の人間には見ることは出来ない。
触れることだって。
「私達…いつまでここにいるんだろうね」
絵梨の言葉が頭の中で繰り返す。
分かってる。
何度も繰り返し思い知らされた事。
分かっているのに…
生身ノ体ガ欲シクナイ?
ぎよっとは私立ちすくんだ。
耳元で、嗄れた声が聞こえた。
さっき、視界に入った黒い影が、いつの間にか、私の体に蛇みたいに巻き付いていた。
同じ霊体なのに、妙に生臭い感じがして、私は吐き気を覚えた。
こんな人間的な感覚は、生きてるときと変わらないのね。
ヘンに冷静に分析してるのが、我ながらおかしかった。
だけど、私はこんなヤツにやられるほどヤワじゃないわ。
力を込めてふりほどこうとした刹那、影は鎌首をもたげ、私の耳元で囁いた。
モウ一度生キタクナイ?
その一言で、私は抵抗できなくなってしまった。
生きたい
もう、ずっと彷徨い続けるのは嫌
ここから出して!!
心の間を突かれた。
一瞬の隙に、黒い影がしゅるるっとあたしの中に入っていくのを止められなかった。
そして、嫌な笑い声。
オ前ノ姿ヲ借リルヨ
黒く塗りつぶされていく意識の中で、あたしは絵梨と…彼の事を考えていた。