ぽかぽかとした日差しが、テラスを照らしてる。
その中で何も考えずにまどろんでいるのが何とも心地よくて、あたしは大好きだ。
そよ風があたしのヒゲをかすかに振るわせてくすぐったい。
気持ちよくて目を細めた時、

「ケイ!」

聞き慣れた声が聞こえた。
あたしは立ち上がって、声の方に駆け出した。
ご主人様がこちらに手を伸ばして呼んでいる。
そこに飛び込んで、ご主人様の胸にごろごろと甘える。

「いいコね」
喉をなでながら優しくあたしを抱きかかえてくれた。
ご主人様はいつも優しくていい匂いがして、腕の中にいると安心する。
長い黒髪にじゃれつきたい衝動にかられるけど、ここはじっとガマン。

大切な大切なご主人様。
誰にも、傷つけさせやしない。
絶対に。

ご主人様の寝息が規則正しくなったところで、あたしはそっとご主人様の腕の中から抜け出した。
暖かなベットから、冷たい板張りの床に飛び降りる。
初夏とはいえ、夜は結構冷える。
あたしは身震い一つすると窓の隙間から抜け出して、村外れを目指して歩き出した。
またアイツは来るのかな。
あたしは空を見上げながら考えた。
綺麗なお月様が輝いている。
でも、今日は半分しか姿を見せてくれない。
半月か。
あたしの魔力は月に左右される。
満月の時なら絶好調なんだけど、新月になるとあたしは何もできなくなる。
ただの猫のまま。
狼男じゃないけど、月は魔力に大きな影響を与える。
今日の体調は、絶好調という訳じゃないけど、悪くもないといった感じかしら。

村から死角になったところで、あたしは瞳を閉じた。
しっぽを一振りした後、精神を統一する。
頭の中に電流が走ったような感じがして、体全体が蒼白い光に包まれる。
次の瞬間、薄汚い猫だったあたしの体は、人間と見まごうばかりの姿に変わっていた。
いつからこうなれるようになったのかは覚えてない。
猫の姿の時と違って、そんなに早く走れないし、体も大きくなるから身も隠せない。
でも、今はこの力があって良かったと思う。

大切なご主人様を守れるから。

あの、毎晩のようにやってくるアイツに、手を触れさせてたまるもんか。
たとえ、吸血鬼だろうと…。

夜が明けて朝が来て、そしてまた夜が来て……
何度目の夜を巡ったことか。
ラルクは傷はふさがったものの痛みが残っているらしく、カイルの館に腰を下ろし続け、カイルは飽きもせず夜毎猫娘のケイとじゃれあって(?)いる。
ただ、新月の時だけは屋敷から動こうとしない。
別に俺達吸血鬼は月にそれほど影響は受けないのだがなぁ、とラルクには不思議だ。
「そんなに執念深く追い求めるとは、その『ご主人様』とやらは相当な美形なのか?」
毎度の如く引っ掻き傷だらけで帰ってきたカイルに気付いて、読んでいた本から目を離してラルクは訊いてみた。
一瞬きょとんとした表情を浮かべたカイルは、ハンカチで傷口から出る血を拭う手を休めて答えた。

「さぁ」

は?

予想外な答えにラルクは固まった。
寒い沈黙の後、ラルクの口はようやく次の言葉を紡ぎ出す事に成功した。
「お…お前…。じゃあ、何だって………!?」
怒っているのか呆れ果てているのか、心なしか震えている兄の声に気付かないフリをしつつ、不祥の弟は椅子に腰を下ろした。
そして、大きなため息とともに一言。
「色々あってね…」

冷ややかなラルクの視線に耐えかねて、紅茶のポットに手を出しながらカイルは現在の経緯を話し出した。
もう先程受けた傷跡は跡形もなく消えている。

満月の綺麗な夜だった。
赤く赤く、まるで血の如く輝いて。
光を阻む雲も無く、魔力を放つ月光は辺りを照らしている。
カイルは夜ですら滅多に屋敷から出ることは無かったが、この夜は散歩には絶好と思われた。
村人に姿を見られては困るが、こんな夜更けに外に出る人間は居まい。
心地よい夜風に吹かれつつ、カイルはのんびりと散策を楽しんだ。
そうする内に、うっかりと村の近くまできてしまったらしい。
流石に家の明かりは全て消えているが、寝静まっている村人達の気配が数多く漂っている。
引き返そうとしたとき、近くで生き物の気配がした。
「お前!!」
若い女が、甲高い声を張り上げつつ樹の上から降ってきた。
人の姿をしてはいるが、人間の娘とは思わなかった。
軽々としたその身のこなしといい、気配の隠し方といい、間違いなく、魔物。
エメラルドのようにきらきらした瞳は、吸い込まれるほど美しかった。
猫が人間の形に化けた…キャットウーマン。
カイルは瞬時に相手の正体を見抜いた。
だがそんな事よりも、いきなり誰何されたのがまさか自分とは思わず、彼は戸惑いながら相手を見つめていた。
「最近村外れの廃屋に棲み付いた吸血鬼だな?!」
人間には分からないが、魔に属する者なら魔の気配はイヤでも分かる。
まして、それが自分より力が強い者ならば余計に。
吸血鬼と言えば、魔族の中でも高位に属する種族。
どう転んでも化け猫が刃向かえる相手ではない。
だが、相手は怯む色どころか明らかに喧嘩腰だ。
まだ若く、上下関係にも慣れていないのかも知れない。
カイルが色々考えてる間に、猫娘はますますいきり立っている。
「さては、ご主人様を狙ってるな!」
え?
それは初耳だ。
思いもかけない事の成り行きに、カイルの頭は混乱してきていた。
どうも誤解されてるようだ。
「ちょ…ちょっと待て!俺は…」
ようやく口を開いたのもつかの間、
「問答無用!!」
猫娘が鋭い爪を振りかざして襲いかかってきた。

「いやぁ、強烈だったね」
紅茶のカップに口を付けながら、カイルはしみじみと述懐する。
ラルクはコメントしようが無く、固まっている。

…翌日、村では
「奥様、知ってます?昨日の夜更けに凄まじい男の悲鳴が聞こえたのよ。ああ、何だったのかしら。恐ろしい…」
という会話が朝の挨拶代わりに使われていたと言うことだ。

いくら不老不死の身の上とはいえ、理不尽にも半殺しの目に遭わされて腹が立たないわけがない。
翌日、同じ場所に行ってみると、やはりまた同じ猫娘が現れた。
夜はいつもここに陣取っているらしい。
さすが夜行性の猫。
またも最初から攻撃的な娘だが、その態度の中には気まぐれな猫らしくなく『ご主人様』への忠義心が溢れかえっているので、思わず訊いてみた。
「ご主人様ってのは美人なのか?」
その途端、凶暴的だった猫娘がころりと豹変し、満面の笑みを浮かべたので、質問した方が驚いて一歩引いてしまった。
相手はお構いなしに、まるで顎の下をゴロゴロとやられているのようなうっとりした表情を見せて
「当然♪」
と即答する。
「お優しいし、容姿端麗だし」
しっぽをふりふり、嬉しそうに話している。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は」
「もういいってば」
呆れ顔のカイルに遮られて、もの凄く不満そうだ。
まだまだ言い足りないらしいが、放っておくと夜が明けてしまいそうな調子だ。

「実は住所も教えてもらってるんだ♪」
カイルに明るい声で告げられて、ラルクは礼儀作法を重んじる彼らしくなく、口に含みかけた紅茶をぶぅっと吹いてしまった。
「裏通りの赤い屋根の家だって」
ハンカチで口元を拭いながら、ラルクは氷のような眼差しでカイルを見た。
「だったら、別の道でその猫娘を撒けば良いだけの話じゃないか」
その視線にざくざくと刺されながらも、カイルは負けない。
「いーや!あの小娘を屈服させてから、堂々と『ご主人様』の血をいただく!!」
子供の様に意地を張っている弟を見るラルクの目が、ふっと奇妙な色を放った事に、明日の対戦の事だけを考えていたカイルは気付かなかった。