吸血鬼といえど、夢は見る。
それは、願いであったり、過去の記憶であったり…。
 
 

その日のカイルは珍しく、昼の眠りを地下室の棺の中ではなく、自室の豪奢な寝台の上で迎えた。
傍らには、ケイという名の猫が丸まったまま寄り添って寝息を立てている。
普段は寝る場所は別々なのだが、ケイが「たまには一緒に寝たい」と駄々をこねたのだ。
昔、人間と触れ合って生きてきたケイは、時折人の温もりが恋しくなるのだろう。
出会った頃のとげとげしい雰囲気は消え失せ、そこにいるのは雨の中に放り出されたひとりぼっちの猫だった。

カイルは、そんな姿にふと昔の自分の姿を重ねるときがある。
自分は人間であったと信じていた、そして違うと知らされた、あの頃に…。
だから、ケイを拒絶せず、いつでも受け入れてやる。
そんな姿を、以前館を訪れた彼の異母兄が冷ややかな目で見ていたことがあった。

冷ややか…?

いや、違う。
確かに、子供の頃に会った兄は、人間というものを侮蔑し、ただの食料としか見ていなかったように思えた。
それが…、久方ぶりに再会したラルクは、ずいぶんと変わっていた。
ケイとじゃれあっているカイルを見ても、軽蔑どころか、微笑ましいと言いたげな視線で見守っていた。
不器用な弟をからかったりするところは相変わらずだったが。

そのラルクが変わった原因を、カイルは一度だけ教えられた。

ラルクに連れられたそこは、どうやってたどり着いたのかは分からない。
ラルクの「術」がかけてあったのだろう。
特殊な結界で、その丘は護られていた。
色とりどりの花に溢れ、小鳥の声が響き…そして、幻影の太陽までがあった。
吸血鬼である彼らには絶対見ることの出来ない陽光が、さんさんと草木を照らしている。
今まで月光より美しいものはないと思っていたが、この生命溢れる光の何たる美しさ…。
もちろん、創ったラルクでさえ見たことはないはずだから、想像の産物なのだろうが。
おそらく、「彼女」に聞いたのだろう。陽光の下で生き続けるはずだった、あの少女から…。
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それだけでも、まだ若いカイルには度肝を抜かれる演出だったのだが、先を歩いていたラルクの足がぴたりと止まり、足下の花々に手をかざすと…。

「これは…?!」
カイルは驚嘆の声を抑えることが出来なかった。
彼とラルクの足下、今まで咲き乱れていた花がざあっと割れ、大切に隠していたものを主の前に浮き出したのだ。
厚い氷が張り、そして、その下に眠っているのは…

若い人間の娘が、その中に横たわっていた。yumeminooka2
長い亜麻色の髪が水の中にたゆたっている。
ゆったりとした白いドレスが、美しい体のラインを覆っている。
長い睫毛は固く閉じられ、その下の瞳は二度と輝くことはない。

「術をかけてある」
ラルクはその氷の上に片膝を付いた。
「眠りを破らぬよう…」
そっと、白く細い指が足下の氷を愛おしそうに撫でる。
彼の顔は伏せられ、黄金の髪の下に隠された表情はカイルには分からない。
いつでも自信と気品に満ちあふれ、そしてそれに見合う力と美貌を誇る、吸血鬼。
その兄がだが今は、まるで無力な一人の人間の様に見える。

(この人が…)

風の噂が流れた事があった。
吸血鬼の中でも誇り高く気高い兄、ラルクが、事もあろうに人間の娘に恋をした、と。
その後はどうなったかまでは伝わらなかった。
彼が血の誘惑に耐えきれず娘の首筋に牙を立てただの、娘の村から追い立てられ、逆にその村を滅ぼしただの…。
真相は分からない。彼が語るはずもない。
だが、今のカイルは、口を開くことが出来なかった。
座り込んだまま、美しい彫像の様に動かないラルクに、何が言えよう。
彼は今、かつての恋人と会っているのだ。

(守りたくて、守りきれなかった、最愛の光…)

カイルは背を向けた。
ゆっくりとその場から離れる。
恋人達の逢瀬を、邪魔してはいけない。

『ラルク』

まだ、はっきりと覚えている。

腕の中に残る、彼女の体の温もり。
髪の香り。
優しい声。
その笑顔。

たとえ何百年経とうと忘れるはずがない。
忘れることなど、出来はしなかった。
一瞬にしろ彼を支配した存在を。

瞬きすら忘れたように見開き続けている黄金色の両目の縁に、光るものが浮かんだ。

灰色の空。
全身を打つ、痛いほどの冷たい雨。
その中で冷えていく、彼女の身体。
血。

『さよなら。私の…優しい吸血鬼……』

最期の別れの言葉。

「シェル…」

石のように冷えているラルクの唇から漏れた言葉は、恋人を守る厚い氷に跳ね返された。
穏やかな風が、彼の声に応えるように傍らを吹き抜けていく…。

カイルが戻ったとき、既にラルクは何事もなかったかのように草原の中で佇んでいた。
「あ……」
その足下は、元通り咲き乱れる花で覆われている。
カイルの視線に気づき、ラルクは答えた。
「彼女は眠り続ける」
淡々としている…だが、限りなく感情がこもった声。

「この丘で」

…………耳元でその言葉をささやかれた気がして、カイルは目を開けた。
そこにあるのは、眠りにつく前と同じ部屋の光景。
傍らには幸せそうに目を細めたままの猫。
わずかに開いたカーテンの隙間から、月光が差し込んでいるのが見える。
また、例の如く寝過ごしたらしい。
カイルは軽く目元をこすって体を起こした。
その振動で目が覚めたのだろう、ケイもぱっと瞼を開いてカイルを見上げた。
「あ、起こしちゃったか?悪い」
カイルの声に、彼女はニャーと一声答えた後、ぐぅーっと伸びをして…
「どうしたの?」
ぱっと人型にその姿を変えると、不安げな顔で話しかけてきた。
「え?」
暗い部屋で交わされる、夜行性同士の会話。
二人に明かりは必要ない。

「…カイル、泣いてる」

「…………」
心配のせいか、自分こそ今にも泣きそうに顔を歪めたケイの頭を、カイルは軽く抱き寄せた。
「カイル?」
「……別に。何でも…ないよ」

憂いを秘めた、黄金色の瞳が脳裏に浮かぶ。

「何でも……」

永遠に眠り続ける恋人を、永遠に想い続ける彼。
報われない。
それこそ、虚しい夢。
終わりのない悪夢。

…………それが、彼に課せられた罪なのだから