「よぅ、クリス。奇遇じゃねえか。お前とこんなとこで会えるなんて、俺は何てついてるんだ」
情報集めのために立ち寄った酒場のカウンターで、並んだ酒瓶のラベルを何とはなしに眺めていると、耳障りな声に呼びかけられた。
私の返答も待たず、脇の席に見覚えのある顔がどっかと腰を下ろす。
酒場の親父にビールを注文すると、彼は私の方に向き直った。
「俺は今月、3体も片づけたぜ。お前はどうよ」
筋肉を持て余したような強面のこの男は、マークと言う名の同業者だ。
私の様に一人ではなく、荒くれ者と徒党を組んで村を回っている。
だから、片づけたとされる吸血鬼の量も相当数に上るが、あまり評判は良くない。
調査を命じられ吸血鬼がいなかった場合、村人の誰かを吸血鬼に仕立て上げて殺し、高額の報酬を請求するという事を平気でやる様な男達だ。
だが、それをおおっぴらにあげつらえる者はいない。
只でさえ、吸血鬼ハンターの絶対数は少ない。
高額な報酬とはいえ、こんなおぞましくも危険な仕事を続ける人間は、余程自分に自信がある者か、酔狂を通り越すほどの馬鹿だ。
…私やマークのような。
「一人」
あまり関わりたい相手ではない。
まだこの村で実のある情報は一つも手に入れていないのだ、さっさと立ち退いて欲しくて私は素っ気なく答えた。
だが相手は怯むどころか、丁度目の前に出されたジョッキのビールを一気に半分ほど飲み干してかかかと笑った。
「お前、そんなんでハンターなんて言えるのかよ。だから前から言ってるだろ、俺達と一緒にやろうぜ。みんな大歓迎さ」
ごつい指が私の手に伸ばされてくるのを、髪を掻き上げるふりをしてかわす。
ふと酒場の中を見回すと、空席が目立っていた店内はマークの手下共でほとんどが埋まっていた。
皆、私とマークの様子をニヤついた様子で眺めている。
嫌悪感が、私の脳裏を占めた。
女に飢えているのなら、娼館にでも行けばいい。
こんな馬鹿と付き合っている時間はないわ。
仕方がない、さっさと次の依頼をこなしに行こう。
私はグラスに残っていたエールを一気に煽った。
喉を焼く心地よい熱さが消えない内に、テーブルに数枚のコインを投げて立ち上がる。
「そう言えば、面白い話を聞いたぜ」
マークがぼそりと呟いた。
「金色の髪と眼をした、すげぇ綺麗な男を見た、とよ」
息が止まった。
私は離れかけた席に、もう一度舞い戻った。
「いつ、どこで?!」
私の様子に、彼は満足げに笑った。
「やっぱり、まだ探してんのかお前。相変わらずそいつの話になると、目の色変わるんだな」
「いいから教えて。どこで彼を見たって?!」
「どーしよっかなー、クリスちゃんってば、あまりにつれないんだもんよ」
取り巻き達がどっと笑った。
からかわれた。
私はぎり、と唇を噛んで、椅子を蹴った。
「分かったよ、愛しのクリスの為だ、貴重な情報を教えてやるさ」
粘っこい笑いのまま、マークはもう一度席に着くよう手を振った。
腹立だしさを何とか納め、従う。
それでも話の間中、肩を抱かせたりはしなかったが。
その男を見たのは、長く続いた雨が止み、久々に月が顔を出した夜だった。
このところ果実泥棒が頻発していたため、ある農夫が夜の見回りをしていたところ、林檎園の脇を通る街道に人影を見つけた。
時刻は深夜をとうに過ぎており、周囲は鬱蒼とした木々に覆われ、村の者ですら出歩くのは躊躇われるほどの不気味な道を、そいつは悠々と歩いていた。
薄暗い月明かりの元でははっきりとは見えないが、どう見てもまともな旅人とは思えない。
それとも、こいつが果実泥棒か。
夜の闇に紛れ、おらの林檎を盗みにきただか。
農夫はそう思ったが、彼は林檎園には目もくれず、そのまま村を抜けていこうとする。
藪の中に潜み、彼はそいつの姿を追った。
やはり只の旅人なのか?
宿が見つからず、このまま夜通し歩いていくつもりなのか。
だが、こんな辺鄙な村の宿屋が満室なんて事はあり得ない。
それに、どう見てもその足取りは急いでる風でも疲労の色もなく、のんびりとしたものだ。
まるで、夜の散歩を楽しむような。
つと、人影の足が止まった。
農夫の視線に気付いたのだろうか、その旅人はゆっくりとこちらに振り返った。
同時に、タイミング良く、薄く月を覆っていた雲が流れ、そいつの姿をはっきりと照らし出す――
動けなかった。
息を飲むどころか、息することすら忘れ、彼はその人影に魅入った。
蒼い月光を受けて光を放つ銀…いや、黄金色の髪。
こんなに遠く離れた夜の闇の中だと言うのに、同じ色の瞳が見えた。
そして…美貌。
今まで生きてきた中で初めて見る、いや、これからも一生拝むことのない、人外の美しさがそこにあった。
夜風が、黒いコートをばさりと翻らせた。
それは、彼の目には蝙蝠の翼を思わせる禍々しいものに映った。
ああ、そうだ。
これは、死神だ。
黒衣をまとい、天使の顔を備え、生ける者の魂を黄泉へと誘う――
そこで、農夫の意識は途絶えた。
翌朝、気が付くと自室のベッドの上で毛布にくるまり震え続けていたのだ。
事の顛末を話せるようになったのは、つい先日の事。
もちろん、そんな男が村を訪れたと言う記録はなく、彼は連夜の夜回りに疲れ、夢でも見たのだろうと言う話に落ち着いたが…。
「俺だって話を聞いたときはそいつが寝ぼけてたに違ぇねえと思ったけどよ、金眼金髪ってとこで思い出したんだよ。お前がそんな感じの獲物を探し回ってるってな」
マークのざらついた声も、今の私の耳には入っては来ない。
話の途中から心臓が早鐘のように鳴り、口の中はからからに干上がっていた。
黄金色の髪と瞳
黒いコート
人のものとも思えぬ美しさ
――間違いない。「彼」だ。
「そいつが吸血鬼だとは言ってないぜ。まぁ、話半分に覚えておきな」
とある村の名前を彼は告げた。
「今回は礼を言うわ。情報をありがとう」
「礼は、実のあるモンが嬉しいがね」
私の胸から腰にかけて這い回るマークの下卑た視線に、財布に伸ばしかけた手を止めた。
このままその顔を見ていると、横っ面をはり倒してしまいそうで、私は今度こそ足早に扉に向かった。
入り口の周りでクダを巻いていたマークの手下達が、私の前にずりずりと道を空けた。
もし襲いかかられたって、こんなゴロツキ共に手込めにされるほどやわじゃない。
興奮のあまり駆け出したいのをこらえ、私は扉に手をかけた。
「まるで恋してるみたいだな。そのバンパイアによ」
マークのからかいの声に、私は動きを止めた。
恋?
…いいえ、これはそんな優しいものじゃない。
私を駆り立てるものは、憎悪。
それだけよ。